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漆黒に染まった銀弾:22

その夜、キャメルは久しぶりの非番だった。赤井秀一が生きているとわかってから、黒の組織に関する情報があれよあれよと出てきて、休みなく働く毎日がしばらく続いていたのだ。そのせいか、昨晩、昼には気に入っているファミレスにカレーを食べに行こうと決めていたのに、目が覚めた時には既に夜だった。ファミレスなので営業時間を気にする必要はほとんどないが、せっかくの非番の大半が就寝時間に食われたと思うと情けなかった。
目当てのカレーを食べて、少し都内をドライブした後、やはりこのまま非番が終わるのは少々悔しくて、仮住まいにしているマンションから歩いてレンタルショップへ向かった。明るい通りを進むと遠いが、狭い路地を通っていけば近いのだ。
彼を見つけたのはその帰り道。一昔前に流行ったスパイ映画を借りて、小瓶のウイスキーをコンビニで買った。レンタルショップでずいぶん悩んでしまったから帰りには外灯も消えており、真っ暗だった。
だが目に見えなくても、押し殺された喧騒を感じることはできる。キャメルはレンタルしたDVDとウイスキーを路地の入り口にそっと置き、息を殺して足を忍ばせた。路地の中心部で、男が二人。ひとりは立っており、もうひとりは何かに馬乗りになるように膝と手をついている。キャメルが不意を突くようにケータイのバックライトを向けると、ひとりの男に押さえつけられているのが子供だとわかった。
「警察だ!!手を上げてその子供から離れろ!!」
小径銃を構えて叫ぶと、男二人は顔を隠すように手を上げ、しばらく考えあぐねるようにその場から動かなかった。だがキャメルが銃を下ろさないまま駆け寄ると、ずいぶ上手な舌打ちを聞かせ、足早に走り去っていった。
子供に近づく。うつ伏せで頭を押さえられていた少年は、右足のふくらはぎと左肩から血が流れていた。傷口からして刃物で切りつけられたようだ。
「坊や、大丈夫かい?すぐに病院に連れて行くよ」
彼は返事をしなかった。あの男たちからずいぶん逃げ回ったのか、疲弊しきっている様子で、汗もたくさん掻いている。キャメルは彼を抱えて路地を戻り、ウイスキーとレンタルDVDを抜いたビニール袋で、傷口近辺をきつく縛った。傷をきちんと見る必要があると思い、自販機の前まで移動したのだが、そこで初めて気がついた。
この子…銀髪だ…
目の色も変わっている。ダークグリーンのような、紺碧のような…キャメルはその目の色を持つ人物を知っていた。
「まさか、ジン…」
少年は答えない。とにかく疲れて、眠りたくて仕方がないようだった。よく見ると靴も履いていないので、足の裏や指先は小さな傷で見るに堪えられないものとなっている。
とりあえず病院に連れて行こう。このまま死なれては、引き出せる情報も引き出せない。
病院ではひどく不審がられ、心が折れそうにもなった。この少年がひどく無口で無感情なものだから、尚更である。いっそ警察呼んでもらった方が楽かもしれないと思い始めた時、沖矢に扮する赤井とジェイムズが来た。
「ご心配なく…我々は先ほど彼から通報を受けました、警察の者です」
ジェイムズがぺらぺらと医者にそれらしいことを言い、ジンの容態について事細かに聞いている。沖矢はキャメルに素っ気なく声をかけた後、治療の為に打たれた麻酔で眠る少年を睨み付けた。
彼にとっては恋人だった宮野明美の仇である…キャメルはその目に背筋の凍る思いがした。
だが二人の元に来たジェイムズの言葉で、彼のその目も戸惑いを浮かべる。
「足の怪我はたいしたことないようだが…羽交い締めにされて後ろからナイフを突き立てられたと思われる肩の傷がひどいらしい。あと、彼は自分の名前も両親のこともわからないようで、記憶障害の疑いがあるそうだ」
「記憶障害だと?」沖矢は不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。「怪しいもんだな…演技じゃないのか?」
「いえ…でも、そう聞くと納得がいきますよ」
キャメルは声をかけた時の少年の反応を思い出していた。じっと黙りこみ、痛みに耐えながら、見知らぬ大人に警戒するような反応である。ジンなら誰とも関わらないよう逃げるのではないか…本当にジンなのか判断できなかったのは、その様子があまりにも普通の子供だった為である。
「そもそも大人が幼児化するなんて、そっちの方が信じられない…もしそれがあったとしても、記憶障害やそれ以上の副作用があっても不思議じゃありません」
沖矢が考えるように口を結んで黙っていると、キャメルは怖かった。また何か的はずれなことを言ったんじゃないかとか、触れてはいけない部分に触れたのではないかとか。結局彼はそのまま何も言わず、ジェイムズが口を挟んだ。
「まぁとにかく話をつけて、我々で保護することになったから、見極めるのはその後でも遅くはないだろう…赤井くんがいるところだと、あの少女と近すぎて危険を伴うかもしれないから、私かキャメルのところで様子を見よう」
三日は入院しなければならないので、交替で彼を見張ることになった。
少年が目を覚ましたのは夜が明けて陽が上り、気温も上がって汗ばみはじめる昼頃だった。見張っていたのはジェイムズで、すぐに連絡があった。
キャメルが先に着き、後から来た沖矢はコナンを連れている。
ジンは看護師に包帯を変えてもらったばかりで、まだ麻酔が抜けきれてないのか、気だるそうに横になっている。
美しい宝石のような瞳に震える、怯えの色…やはり記憶障害は本当なのではないかと、キャメルは考えた。
「名前は?」
ジェイムズが尋ねると、周りの大人たちを怖がりながらも、小さく答えた。
「…ジン…」
沖矢が顔をしかめる。ジェイムズが口出ししないよう目で合図を送り、なるべく穏やかな声で続けた。
「お父さんと、お母さんは?」
ジンは瞬きを何度もした。動揺している。ただ、触れられたくない部分を指摘されて動揺しているというよりは、答えがはっきりしなくて困っている、といった様子である。
「お父さんは…待ってる…と、思う…」
「どこかで、君を待っているのかい?」
「……ロンドン…」
答えながら、大人たちの反応を窺っている。自分の発言が正しいのか、本人も不安なようだ。
「じゃあ、お母さんは?」
「お母さんは…」
ジンは困ったようにジェイムズを見つめ返す。やはりその瞳は震えている。母親がどこにいて何をしているのか、ジンもわからないのだろう。
「記憶障害って段階があるって本で読んだけど、この人の場合、一定の年齢の時の記憶まで退化してるんだね。それがあの時の薬の影響かどうかまではわからないけど…」
コナンがベッドに歩みより、覗きこむように少年を見つめる。少年は怖がっていた。
「でも、たぶん大丈夫だよ」コナンは大人たちに向かって笑って見せた。「さっき赤井さんとも話してたんだけど、組織に黙ってこのジンって子を探してる人がいて、その人は組織を裏切ってでもこの子を助けたいみたいだから。この子が見つかったって教えたら飛んでくるだろうし、きっとこっちの味方になってくれるよ」
「どこでその人と知り合ったんだ?」
ケータイでメールを打ち始めた彼に、ジェイムズは感心した顔で尋ねる。
「先週まで僕、キャンプに行ってて…そこで知り合ったんだ。まぁ、向こうが、僕が小五郎おじさんところの子供って知ってて、このジンって子を探してほしいって話しかけてきたんだけど」
二人がコナンに目を向けている間、キャメルはポケットの中のことを思いだし、ジンに近寄った。
「そういえば昨日、これが落ちてたんだ。君のかと思って拾ったのだけど」
ミニカーである。まだ買ったばかりの新しいやつだ。ジンはほんの少し、目を見張らなければわからないほどであるが、口元を緩めて笑い、肩に怪我をしていない方の手を伸ばした。
「誰かに買ってもらったのかい?とても大事そうだね」
キャメルが尋ねると、ジンは自分の胸の上でミニカーを走らせながら、頷く。
「一緒に暮らしてたおじさん。知らない人」
「知らない?しばらくその人に保護されていたのかな」
ジンは難しそうに首を傾げた。
「でも、おじさんが逃げろって言って、その家追い出された。とにかく遠くに逃げて、それから戻るか戻らないか決めなさいって」
そう言う少年は寂しそうだった。
コナンがメールを送ってしばらくすると、病室が強くノックされた。大人たちが緊張した面持ちで立ち上がる中、ドアを開けて入ってきたのは、コナンとそう変わらない歳だと思われる少年だった。髪も瞳も黒いが、手足はジンのように長い。
「ジンっ…」
ベッドに横たわるジンを見るなり、少年は安堵して脱力した。どんな奴が来るのだと構えていた大人たちも、一気に緊張感が解けた。
「こ、コナンくん、彼が…?」
「うん。ジンと同じ薬を打って、子供になったんだって。誰も見たことないって言ってた、ジャックって人だよ」
ジェイムズとキャメルに緊張感が戻る。ジャックは煩わしそうに彼らを押し退け、ジンに駆け寄った。
「ジン、どんな奴が襲ってきたかわかるか?どこでやられた?」
急に現れて、真剣な顔で問い詰めるジャックにジンは気圧され、ミニカーを持っていた手でキャメルの腕を掴む。藁にもすがる、とはこのことかもしれない。ただ、ジャックはショックを受けていた。実の父親である彼からしたら、息子が自分より見知らぬ男を頼ったのは、予想外だったのだろう。
「と、とりあえず、明後日には退院するから、どこで彼を保護するか決めないと」
「俺も保護しろ」ジャックはキャメルに食ってかかった。「ジンひとりでいたら昨日みたいになるから、俺も連れていけよ」
「お前なぁ!」コナンがジンの首根っこをつかんだ。「ジンのこと協力する代わりに、お前もこっちに協力するって約束だっただろ!!お前とジン一緒にしてたら何か企むかもしれねーし!!」
「企むわけないだろこんな状況で。どれだけ信用してないんだ。それにそんなに心配ならお前とその得体の知れない男も一緒に来ればいいじゃないか。夏休みだし。なんなら宿題手伝ってやるよ」
得体の知れない男とは沖矢のことである。ジャックには彼がライとして組織に潜入していたことを話していなかった。
「確かにキャメルひとりで組織の人間ふたり管理するのは難しいだろう…だが俺もあの娘から目を離すわけにはいかないからな…」
「ジョディ君に行かせよう…彼女がいれば、とりあえず夫婦という形で周りの目も誤魔化せるだろう」
ジャックは勝ち誇った顔でにやり笑って、コナンをねめつけた。ジンが見つからない間はずいぶん不安そうで申し訳なさそうだったくせに、息子が見つかった途端なんとも余裕ぶっているものだ。
「君はどうする?」
沖矢が耳打ちしてきたので、コナンは顔をひきつらせて答えた。
「俺もキャメル捜査官のところに泊まり込めるよう図ってみるよ…あのジャックだけならまだしも、ここにいないジョナサンも気になるし…」
沖矢は頷き、あの娘のことは俺が見とくから気にするな、と頼もしい言葉をかけてくれた。彼のような頼れる人間が他にも何人かいれば、こんな気苦労はなかっただろうな…とコナンは思う。

漆黒に染まった銀弾:21

子供の姿になったジンは一度目を覚まし、混乱しながらもウォッカに仕事に関する話をいくつかしていた。目の前で苦しみながら子供になったのを見たはずなのに、ウォッカはなかなか事態を飲み込むことができず、ブラックに命じられるまま、子供になったジンを甲斐甲斐しく世話していた。
様子が変わったのは二日ほど経った時だ。ニュースを見ていたジンが突然頭を抱えて苦しみだし、そのまま倒れた。ウォッカはすぐにベッドに寝かせてブラックに報告したのだが、彼は医者でもないので役に立たず、病院には連れていくなの一点張り。ベッドで意識もはっきりしないまま転がり苦しむのを一日中見させられ、高熱が続いて一週間。急にぴたっと意識がなくなり、熱はひかないまま、また一週間…このまま彼は死ぬのかと覚悟した頃に、彼は目覚めた。
「兄貴っ…」
慌てて駆け寄るが、様子がおかしかった。まぶしそうに天井を見つめながら、何度か瞬きをしたかと思うと、なんとも不思議そうな目をウォッカに向けた。
「兄貴…?わかりやすかい?テレビ見てたら急に苦しみだして」
「お母さん…」
「え?」
「お母さんに、お父さんのとこへ行きなさいって…」
まだ意識がしっかり戻ってないのかと思い、すぐにブラックへ連絡を入れた。彼は飛んで来て、ジンの汗掻いた額を拭いながら、少し話して戻ってきた。
「ジンの記憶が、たぶん六歳の頃まで退化してる」
「ろ、六歳!?」
「だから俺のこともわからないってさ」
ブラックは少し悲しそうに言いながらも、不安そうにこちらを見ているジンを振り返ると、なんともデレデレした顔で手を振った。ジンは本当にウォッカのこともブラックのこともわからないようで、目を泳がせながら、小さく震えているようにさえ見える。
「あ、兄貴…兄貴もうこのままなのか?戻ることはないのか?」
「それは俺にもわからんが」焦るウォッカを煩わしそうに睨みながら、ブラックは笑った。「まぁ、このままでもいいじゃないか。また育てればいいだけだし。かわいいだろ?」
「え?あ、あぁ…」
ブラックには何を言ったところでどうにもならないと思い知った。
解毒剤を持ってるかもしれない奴らを当たるからお前は見張ってろ、と一方的に告げて、ブラックはまた出ていった。怯えを含んだ目でウォッカを見ている少年をジンだと思うことの方が難しかった。
いや、この子は兄貴じゃない。組織の命令でガキを預かってると思おう。
そうでも思わないとやりにくくて仕方がない。
それからは少し忙しかった。インターネットで育児に関する情報を片っ端から探し、熱が下がるまで小まめに着替えさせ水分を与え、子供服や靴を揃えた。
「お母さんは?」
たまに不安そうにそう聞かれるのは参ったが、お母さんに頼まれて面倒を見ているとかなんとか、でっちあげを話すと、落ち着いた様子だった。
熱が下がると食欲も出てきて、てきぱきと自分で動いてくれるようになり、ウォッカが世話されているようになった。朝早くに起き上がり、シーツを干し、歯磨きと洗顔を済ませると着替えて、簡単な朝食を準備する。食べ終えると食器を洗い、洗濯機を回し、トイレを掃除した。あまりにもてきぱき用を済ませるので、たまに余った時間ができると、困ったようにニュースをぼんやり見つめている。思い立ったように昼食を用意し、掃除を始め、靴磨きまでする。まったく子供らしくないので不気味にも思ったが、日が経つにつれ不憫になってきた。
「たまには外に出るか?まだ病み上がりだから、そんな長ぇ時間は無理だが…」
本当はブラックから、目立つから外には出してはいけないし、外から見えないよう常にカーテンを引いておけと言われていたのだが、何から何まで奴の言いなりになるのも癪だった。それに、この子供らしくない子供を喜ばせられるかもしれない場所に、ウォッカは心当たりがあったのだ。
ジンは少し戸惑いを見せた後、カーテンの隙間から差し込む陽の光を恐れるように見た。
「でも…こんな明るい内に出たら、お母さんが…」
母親が彼を薄暗い部屋に閉じ込めている様子を簡単に想像できた。真っ当な人生を送ってはないが、ウォッカにも倫理観はある。ジンへの恩恵もある。不運にも記憶を失い子供になってしまった彼に、せめて楽しい記憶を植え付けたかった。
「大丈夫。許可はとっているからな」
本当に明るい時間の外に出ることは不馴れなようで、目深に帽子をかぶっているにも関わらず、ウォッカの腕にしがみついて俯き、隠れるようにして付いてきた。ブラックに見つかるのはやはり怖いので、ウォッカにとっても好都合ではある。
連れてきたのは車の博物館だ。平日なのであまり人もおらず、入館料も高くないので、これもまた都合がよかった。
ウォッカの狙い通り、ジンは睫毛を上げて頬を紅潮させ、興奮抑えた様子でいろんな車をまじまじと見つめた。ジンが車好きなのは知っていたし、その中でもクラシックカーを好んでいたのも見て明らかであった。
ほんの三十分ほどしかいなかったが、彼はとても満足したのか、帰り道は多少鼻息荒く、ウォッカの裾を掴む手も力が入っていた。さすがにこんなに付きっきりで面倒を見ていると可愛く思えてくるもので、売店でミニカーをひとつ買ってやった。それからも子供らしからぬ生活習慣は変わらなかったが、その間もずっとポケットや空いた手に買ってやったミニカーを忍ばせているので、これが成長するとあの冷徹な兄貴になるのか、信じられなかった。
たまに買い物なんかに連れ出し、寝食を共にしている間に、ジンの方からぽつりぽつり話しかけてくるようになった。
「チケット…無かったですか?」
「チケット?何のチケットだ?」
「飛行機の…お父さんのところに行くのに…お母さんに渡されて…」
「あ…いや、見てねぇな…悪い…」
ジンは困ったような顔をしながらも、そうですか、と素直に引き下がる。ずっと黙って掃除をしていたのは、もしかしたらチケットを探していたのかもしれなかった。
「お母さんが、ひとりでロンドンまで行って、お父さんのところに行きなさいって。お父さんが空港で待ってるから…」
飛行機でどこへ行く予定だったのか尋ねると、そう答えた。盗聴を恐れたのか、耳を澄ませないと聞こえないほどの小声だった。つられて、ウォッカも小声になる。
「母親は今どうしてるんだ?」
「お母さんは…」ジンは瞬きを一回して、眉を下げた。「お母さんは、わからない…お客さんが来て…」
ジンも事情を全く理解できていないらしく、困惑している。それ以上は聞けなかった。
ジンに脱走の気はないらしく、彼を置いて出ていっても大人しく過ごしているようだった。ウォッカは土産を買ってきてやるからと約束し、近くの喫茶店で黒澤サクラについて調べた。ブラックと初めて会った時に聞いたクラウディオについてはもう調べていたので、黒澤サクラなる人物がジンの母親である可能性が高いと知っていた。
黒澤サクラは殺されている。散々いたぶられたようであった。年代を確認すると、ちょうどジンが六歳の時である。
母親が殺される直前の時まで記憶が遡っていることがわかった。ということは、この母親の死にブラックが関わっている可能性が高い。お客さんが…と言っていたのは、ブラックのことだろうか。
嫌な予感がした。
ウォッカはベルモットに連絡した。
「あら珍しいじゃない、あなたが私に連絡してくるなんて。まるで想定してなかったことがすぐ近くで起きたようね」
真っ赤な唇がにやりと両端から引き上げられる様が想像できた。
ウォッカが黒澤サクラについて尋ねると、彼女は少し考えるような間を置いた後、息を吐き出すように笑った。
「私もその事件に詳しいわけではないけれど…でも黒澤サクラは従順で組織にとって重宝すべき人間だったことは聞いてるわ」
「…それだけ聞けりゃ十分だ」
「そうなの?…ねぇ、それより最近、ジンと連絡がつかないのだけど?」
「あ、あぁ…ブラックが頻繁にかけてくるから、鬱陶しくて出ないようにしてるんだろ」
「そう、災難ね。こうもジンの声を聞かない日が続くと寂しいわ。私がしおらしく泣いていたわと伝えてちょうだい」
チュ、と色っぽく唇を鳴らし、電話は切れた。
黒澤サクラは組織に忠実な人間だった…つまりジンは生まれたその時から、組織の人間として生きる道しか用意されていなかったのだ。靴底まで徹底的に磨くその執着は、自分という痕跡を残さない為に教育されたものだったのかもしれない。
自らの意思で組織に加入した自分とは違う。選択肢も与えられないまま、明るい町を歩くことも許されず、ミニカーひとつで喜ぶあんな無邪気な頃から、血なまぐさい世界に閉じ込められていたのだろう。誰も彼を逃がさなかったし、誰も彼を不憫に思わなかったのだろうか。
甘ぇこと言ってると仇で返されるぞ…
いつだったかジンに吐き捨てられた言葉である。ウォッカの脳裏にブラックが浮かぶ。今、ジンを逃がしたりしたら、奴がすぐに引き金を引くだろう。
ドアを開けると、テレビの前でミニカーを走らせる幼いジンが見えた。膝と片手をついて、フローリングの床を走るミニカーを覗く姿は、その辺で走り回る子供たちと何も変わらない。
ウォッカの姿に気がつくと、慌ててミニカーをポケットに仕舞った。
「おかえりなさい…」
消え入るようなその声で、ウォッカは心に決めた。

漆黒に染まった銀弾:20

違和感がずっと拭えなかったのは、ブラックを最初に見た時だ。
クラウディオの格好をしたジョナサンが目の前に現れて、ブラックとジャックだな、と声をかけた、あの二人。あの時のブラックはやけに焦っていた。そして
「誰だこいつ、おい殺していいのか!?」
確かにそう言ったのだ。
だがトイレで会ったブラックは、動揺を一切感じさせない冷徹な人間。目の前でジンが撃たれようと妙な薬を打たれようと、全く慌てなかった。そして言い訳する間も与えずジン・クロードを殺した。迅速に状況を判断して、殺すべき者を確実に殺す、といった印象だった。
殺していいのか!?なんてまず聞かないだろう。殺していいのか、なんて迷いも奴の頭にはないかもしれない。
クラウディオの格好に対して、誰だこいつ!?も不自然だ。架空の人物だったとはいえ、クラウディオの顔は息子を探す王室御用達の名医として知られていた。あれが本物のブラックであったなら、その人物が架空であると知っていても知らなくても、その顔を見たら殺すべき相手と容易に判断できる。少なくとも知り合いでない限りは敵とみなせる。
あれはブラックではない。となれば、一緒にいた奴もジャックでない可能性が高い。
では誰なのか。
ジョナサンが言っていた。ブラックは人を殺しすぎた、女王様もお冠だ、と。偽物がわざわざ人の集まるところに出てくるのは、本物をおびき寄せる為だと相場が決まっている。彼らはブラックとジャックを呼び出したかった、イギリス王室も関わる裏組織の人間だろう。クラウディオという人物を作ったのはおそらくその組織で、彼が目の前に現れることなどありえないことを知っていた。あれはクラウディオに対しての誰だこいつ!?ではなく、クラウディオに変装しているのは誰だ!?ということだったのだろう。ブラック達をおびき寄せる為にわざわざ目立つ人力車に乗っていたところ、何らかの情報で本物が来ていることを知った。それで焦っていた。人を殺すことに関しては天才だと名高いブラックをいざ相手にするとなると、装備を厳重にしなければ怖くなった。だが万全な状態を用意するより先に、ジョナサンが来た。
装備が間に合わなかった人間が、心臓など撃ち抜けるはずがない。あの時殺されたのはブラックかジャックに成り済ました男で、殺したのはジョナサンだ。そのため死体は身元不明と発表された。あれだけインターネットで顔を晒していたクラウディオが死んでいたなら、警察も身元確認で気づかないはずがない。そしてクラウディオの存在はインターネットで訃報を伝えることにより抹消される。死体も現場も確認できなかったコナンは、クラウディオの格好をしたジョナサンが殺されたと思い込まされる。もう一人の死体はどう処理したのかはわからないが、きっと彼も殺されているだろう。
そして、トイレでジンを撃ったジン・クロード。これもおそらく偽物。あれだけ顔面に銃弾をぶちこまれてもマスクらしいものが剥がれなかったということは、整形でもしたのか。ジンの父親であるジン・クロード・タリティアーノに成り済まし、息子のジンに接触を図り、本物のお出ましを期待した。
だが奴らはきっと知らなかったのだ。見たことのないジャックが子供であること、それが本物のジン・クロード・タリティアーノだったことを。だからブラックの偽物は変装ができても、ジャックの方は似せることが不可能だった。そして偽物を別々に用意したことで、それを知らないことをブラックやジャックに知らせてしまった。
「トイレでジンを撃ち、注射を打ったあの男は、あたかも自分がジンの父親であるように話しかけ、懐には本物の写真も忍ばせていた。あれはもし本物が出てこなかった時に、ジンをそのまま連れて帰る予定だったんだろ。ジンに打った薬の経過を確認する為と、本物のジン・クロード・タリティアーノとの交渉に使うために」
ブラックがあれほど躊躇なく発砲したのが誤算だったようだが。
黒澤サクラとジン・クロードはスパイ同士の偽りの夫婦…ジン・クロードの方は黒澤サクラが関わっていたと思われる薬のデータを欲しがっていたことから、そちらの組織でも似たような新薬の開発を目論んでいたことは容易に想像できる。そしてジン・クロードはどこかの段階で裏切り、黒の組織に寝返った。女王の手下が血眼で彼らを探すのは、その際にジン・クロードが重大な情報を盗んだ為と思われる。
目の前でジンが幼児化したはずのブラックは、知っていたのだ。人間が幼児化する薬がこの世に存在することを。自分の相方がそれを飲んでいることを。だから動揺などしなかった。
「おそらくブラックにとっては二度めだったんだろ…目の前で人の体が縮んで、子供になっていくのを見たのは」
コナンとジャックは階段の踊り場で向かい合っていた。ジュースを飲み終った後に風呂に入り、就寝時間が過ぎたらここで会うことを約束していた。階段の上では禁煙表示を無視して煙草を吸う剱崎がいる。本当は阿笠博士も来る予定だったが、起きないのでベッドに置いてきた。
コナンの推理を聞いても、ジャックはちっとも驚きなどしなかった。懐かしそうな眼差しで、天窓からわずかに見える朧気な月を見ている。
「そう、君の言うとおり、俺はブラックの前で薬を飲んだ。だが知らなかったんだ、こんな姿になる薬だなんて。その類いの薬を開発してることは知っていたが、失敗作が山のようにあるとしか聞いてなかったし、それを飲めば確実に死ぬらしいと聞いていた。だからブラックに会う前に、俺はそれをくすねたのさ」
灰原と同じか…と思った。彼女も死ぬつもりで薬を飲んで、今の姿になった。
「ブラックの前で自殺を図った男が、何で子供の姿で相棒やってんだよ」
呆れて溜め息混じりに尋ねると、ジャックはコナンに目を向けた。
「君は本当の歳は高校生だから、まだ結婚もしてないし、子供もいないかな?」
一瞬、蘭の顔が浮かび、顔が熱くなった。
「あっ、あたりめーだろ!!まだ学生だ!!」
「なら覚えていたまえ」ジャックは自嘲気味に笑った。「子供という存在は天使にも悪魔にもなる…親という生き物を強くして、脆くするんだ…」
幼いジャックは、ぽつり、ぽつり、と冷たい小雨のように静かに話し出した。
「俺とサクラは、偽りの夫婦を演じ、お互いにお互いの尻尾を追いかけあって毎日をすり減らしていた、愛情も同情もない二人だった。子供ができたと言われた時も、好都合だと思ったんだ…これでスパイ活動が少しは楽になるかもしれない、子供を言い訳に使える、とね。
だが自分の子供があんなに可愛く思えるなんて、誤算だった。子供をスパイ活動の言い訳に使うどころか、毎日家に帰ってやれないことや、ろくに思い出も残してやれないこんな父親のところに生まれた彼が不憫に思えてきて…組織の忠犬だった俺が、せめてジンはどこか孤児施設に預けて組織から遠ざけられないかと考えるようになった。
だが俺のその思惑に勘が働きやがったのか、あの女、ジンを連れて別れの挨拶もなしに高飛びしたんだ」
黒澤サクラが組織に戻る指示を受けたのだと、沖矢は言っていた。ジンについて具体的な指令があったのかわからないが、彼女もまた、表面だけの夫は簡単に捨てて、息子のジンは捨てることができなかったのかもしれない。
「そこからの俺は気が狂ったようにあの女を探したよ。正確にはジンを断りなしに連れ去った女を殺してでも、ジンを奪い去るつもりだったんだ。だがサクラは殺された。ジンも当然殺されたと思って、俺の生き甲斐はブラックへの復讐だけになった」
「ところがジンは生きていた…ブラックに生かされていた」
剱崎の声が煙草の匂いに包まれて、ゆらりと落ちてくる。二人は顔を上げ、月明かりにぼんやり浮かぶ微笑みを見た。
ジャックは小さく肩をすくめた。
「ようやくブラックを見つけたと思って、死ぬつもりで殺しに行ったが、まるで刃が立たなかった。あいつはあの時俺を殺す気なんてなかったらしいが、俺はそんな施しほしくなかったからね…それで薬を飲んだ」
意識を失い、どれくらい時間が経ったかわからない頃に目が覚めて、その時に初めて薬の効果を見たのだと言う。
目覚めたジン・クロードを世話していたのは、他でもないブラック。そしてその部屋をたまに出入りしていたのは、まだブラックから独立していなかったジンだった。
「大きくなっていたが、一目見てわかった。ジンの方は当然俺が父親だなんて考えたこともないだろうし、そもそも父親の顔も覚えてはいないようだったが、それでも色んな小さな特徴が、間違いなくジンだと俺に訴えていた」
その際にブラックから提案された。一緒に働けば身近についていてやれるぞ、と。まるで悪魔の囁きである。だが、その時のジン・クロードにとって重要なのはブラックが復讐の相手であるかどうかよりも、ジンが生きているということだった。すっかり闇社会に馴染んで、足は洗えそうにないほど真っ黒になっているようだったが、実の父親である自分も所詮裏の世界で生きる人間、こちらで育てていても同じ結果があった気もした。
「おいおい、まさかそれで」
コナンが睨み付けると、ジャックは悪びれる様子もなく、あっさり頷く。
「話に乗った。言っただろ?子供っていうのは天使にも悪魔にもなる…あの時のジンは俺にとって、天使の皮をかぶった悪魔だったってわけ」
「それで?海外に仕事行かなくちゃいけなくなったブラックに置いて行かれたお前は、栄太郎くんとして学校に入って、ブラックが日本に帰ってきたら転校したってわけか」
コナンの姿になってから、何度か経験した不便である。それは身分証。特にパスポートは誤魔化しがきかないので、新一に戻るか諦めるかしなければならない。ジャックはパスポートを持っていなかったから、海外には付いていかなかった。そして朱里が言っていた親戚のお兄さんは、仕事の合間に帰国していたブラック。小学生と話しているところを見られないよう、裏口で窓越しに話していたのだろう。体が弱いことにしたのはいつでも学校を抜け出せられるように。
「朱里ちゃんが来てたのは計算外だったな…わざわざ埼玉から参加するとは思わなかった…」
ジャックが顔をひきつらせるのを見て、頭上から乾いた笑い声が降ってきた。
「あんたがわざわざ髪も目もそのまま、目立って仕方ないその姿で来たのは、ジンを狙う奴らをおびき寄せる為か」
「そう、来なかったけどね…裏切り者の俺の首を持って帰れなかった奴らなら、薬の検体になるジンを何としてでも女王の土産にしたいだろうからな」
だけど、と彼は顔をしかめた。どうしたものかまったく困ったものだ、とでも言いたそうな、憐れな顔だった。
「お困りだろうな…ジンが逃げたんだから」
にやにやと意地悪な笑みを浮かべてコナンが言うと、ジャックも釣られるように口元を歪めて笑った。
「逃げただけならまだしも…あの薬はひどい失敗作だったようでね…副作用で記憶障害が…」

漆黒に染まった銀弾:19

「ご馳走になったので、片付けは僕らでします」
ジャックはそう言い、調理で使った鍋やお玉を洗い始めた。蘭は自分がするからと遠慮したが、何もしないで煙草を吸っている剱崎が口を挟んだ。
「いいんです、いいんです、人一倍食ったのはそいつなんだから」
「あなたねぇ」蘭は剱崎に顔を寄せ、思いきり顔を歪めた。「子供にだけそんなことさせられるわけないじゃないですか。道具戻すところまで結構距離もあるし、重たいし」
「あ、いや、だから…ど、道具戻すのは俺が一緒についていくし、こう見えて結構鍛えてるから大丈夫!!て意味で…」
気圧され、しどろもどろに答える。
「それに、ほら、さっき運営委員の人が、女の子達からお風呂入ってくださいって言ってましたよ。だからあなた達は早めにお風呂行った方がいいんじゃないかなぁ…時間過ぎると今度は男の子の番になるだろうし」
「え!?」
蘭が思わずコナンへ目を向ける。コナンは椅子を折り畳みながら、頷いた。
「うん、さっき言ってたよ。えーと、八時から男の子が入るって言ってたかなぁ」
「えーっ、八時!?」園子は時計を見て叫んだ。「もう七時回ってるわよ!?蘭、早く行こうよ!!入れなくなっちゃうー!!」
「で、でもぉ…」
一人で洗い物をするジャックに後ろ髪を引かれるのだろう、蘭は困った顔でその場から動けないようだった。
「心配せんでも大丈夫じゃよ蘭くん。わしもおるし、この子達もおるから」
阿笠博士がそう言うと、ようやく少し気が落ち着いたのか、蘭たち女性群は施設に戻っていった。
コナンと光彦は簡易テーブルや椅子を折り畳み、元太はそれを乗せる為の台車を持ってきた。ジャックは洗い物を終えるとタオルで拭き始め、これまたそれを入れる為のステンレスのかごに納めていく。阿笠は道具を返す為に動いてくれたが、剱崎は煙草を吸うばかりで、ついに何もしなかった。
「お前も何か手伝えよ」
元太が睨み付けると、彼は携帯灰皿に吸い殻を仕舞いながら、肩をすくめた。
「どうもこういうのは苦手でね…お陰で家も散らかしっぱなし、ゴミ屋敷だ」
「自慢になりませんね…」光彦が呆れて大きな溜め息を吐く。
「確かにね…俺は子供に好かれるような立派な人間なんかじゃない。だけど、君たちにできないことができるんだよ…そう例えば、施設の中にあった自販機で好きなジュースを奢ってあげる、とかね!!」
それまで軽蔑した目を向けていた元太と光彦が、一瞬にして顔を明らめ、尊敬に似た眼差しに変わった。コナンは、買収かよ、と苦笑いするが、蒸し暑い夜に作業をしていて喉が渇いてたのも確かなので、その言葉には素直に甘えた。
自販機は施設の入り口すぐに設置されており、向かって左側に女子部屋への階段、右側に男子部屋への階段がある。間をまっすぐ通った先はトイレ。左側から順番に、女子トイレ、障害者用トイレ、男子トイレ。階段とトイレの間のスペースに、椅子やテーブルが簡単に並べられているので、コナン達はそこでジュースを飲んだ。
剱崎は割りと子供の扱いが得意なようで、元太や光彦はすっかりなつき、今までの少年探偵団の活躍を嬉々として話している。コナンと阿笠博士は別のテーブルに座り、そこにジャックが来た。
「ここ、いいだろうか」
「どうぞ」コナンはラムネを飲みながら、光彦達の席を指した。「あっちの方が楽しそうだぜ?」
「君が活躍した事件については、もう知っているからね」
ジャックは口元だけで微笑み、剱崎が買ったミルクセーキを開けた。
「もちろん、毛利小五郎についても調べさせてもらったよ」
「お前は…どっちなんだ?」
コナンが声を低める。彼は自嘲気味に笑い、さぁね、と首を振る。
「何でおっちゃんのことまで調べる必要があった?まさか依頼する為じゃないだろ?」
「そのまさかだよ」ジャックは多少青白い顔で、口元をひきつらせた。「人を探しているんだ」
「おいおい…本当に依頼するつもりだったのかよ!?」
「いないんだよ、どこ探しても。ああやって頭下げたくない奴にまで頭下げて探してるってのに、ぜんぜん…」
言いながら指したのは剱崎である。二人の視線に気づいた男は微笑み、冗談っぽく手を振って見せた。ジャックは無視してコナンに向き直った。
「俺みたいな銀髪の少年なんだけれど…おそらく六歳から八歳くらいの…」
「はぁ!?お前ら、まさかっ…!?」
「俺やブラックが戻ったらいなかったんだ。監視役のウォッカが睡眠薬で眠らされて、その隙に逃げたらしい」
ウォッカの顔を思い出す。そういえばあいつらよく一緒にいるな…。
「ブラックがGPS付けていたんだが、それが杯戸町辺りで途切れていて。だから俺はこっちを探しているんだ。ブラックはその間、ジンを探してる別の奴らを片っ端から始末していってる」
「自称フリーメイソン、か?」
コナンが苦笑気味に言うと、ジャックは若干戸惑った顔で首を傾げる。
「おめぇの仲間がそう言ったんだよ…いくら本名や組織名言えないからって、フリーメイソンのジョナサンですってのはなしだろ?」
コナンは光彦達と談笑してる剱崎を見た。
「まぁ本人はセンスあるジョークだと思ったのかもしれねぇけど」
ジャックは笑った。「本当、何もかもお見通しだな、君は」

漆黒に染まった銀弾:18

「おいしい?ジャック君」
蘭が微笑みかけると、なんとも無愛想な顔のまま、ジャックは頷く。渋々食べているような態度だが、それにしては元太とそう変わらない量をむしゃむしゃ食べている。
「おめぇ、食わせてもらってるんだから、ちょっとは遠慮しろよな」
さすがに自分のお代わり分を心配した元太が叱咤すると、彼は青い瞳をちらりと彼に向けて、素直にごめんと言った。
「お腹空いていたから…これで最後にする」
「いいのよいいのよ」ジャックの口元を拭ってあげながら、園子は元太を睨み付けた。「あの子はちょっと痩せないといけないんだから」
「でも…結構食べたし」
確かに多目に作ったカレーはもう底が見えており、わずかに残ったそれを元太が懸命にかき集めているところである。
「もしかしたら余ってる班もあるかもしれないよ?お姉ちゃんたちでもらってこようか?」
「いい、いいよ」ジャックは蘭の提案に首を降りながら、スプーンを握る。「お前が行ってこいよ剱崎。元々はお前の失態だろう」
「何で?ジャックがここでご馳走さましたら済む話じゃないか。太るぞ」
「子供は代謝がいいんだよ。万年運動不足のお前と一緒にするな」
「もー、ああ言えばこう言う…」
剱崎が不満そうに口を尖らせるのを遠目に見ながら、灰原はコナンに耳打ちした。
「ジンじゃないわ…」
「俺もだんだんそんな気がしてきてたんだ。あの剱崎ってのが何者かわからねぇ内は油断禁物だが…」
「でも、ジンではないわ」灰原はやけに自信があった。「彼はあんなに食べられないのよ」
「彼って…ジン?わからねぇじゃねぇか…子供の内めちゃくちゃ食ってた奴が、大人になってから食わなくなるってこともあるだろ」
「いいえ、彼は食べない。小さな頃からブラックに育てられて、組織にいるから、いつ何時も身軽に動けるよう教育されているのよ。最小限の食事で栄養を効率よく取り入れるのが癖で、あんなにカレーだけをむしゃむしゃ食べたりはしない…できない、て言った方が近いわね」
ジンじゃないとわかって多少緊張が解けたのか、灰原は少しだけ口角を上げて笑った。
剱崎が片手をポケットに、もう片方の手で空の皿を持って、カレーくださーい、カレーくださーい、と何とも気だるそうに歩いて行くと、どこからか黒髪の女の子がコナン達のテーブルに駆け寄ってきた。
「ね、ねぇ!!栄太郎くんだよね!?」
ジャックに向かって、頬を赤らめながらそう言った。ジャックはスプーンをくわえたまま、彼女を見てギョッと目を見開いたが、すぐに困った顔をした。
「えーと…ごめん、人違いかな。僕は君を知らないしぃ…」
「嘘!!栄太郎くんだよ絶対!!だってそんなにご飯食べる子他にいないし、その目、わたし覚えてるもん!!珠理のこと覚えてない?」
珠理と名乗った女の子は、目にたっぷりの涙を浮かべた。ジャックが慌てて彼女に何か言おうとしたところで、剱崎が戻ってきた。
「申し訳ないが人違いだよ、お嬢ちゃん…その栄太郎くんは、こんな派手な髪の毛じゃなかっただろう?」
「そうだけど…」珠理の目から大粒の涙が流れた。「栄太郎くんだと思って…ごめんなさい。これ、栄太郎くんじゃなくて悲しいけど、あげる…」
彼女はカレーの載ったお皿を差し出し、しくしくと泣き出した。ジャックは困りながらも素直に皿を受け取り、すぐに食べ始めた。この行動には剱崎も顔をひきつらせている。
「ねぇ珠理ちゃん…あっちでお喋りしない?せっかくだし」
歩美が優しく声をかけ、コナンや灰原のいるところへ彼女を連れてきた。
ナイスだ歩美ちゃん!!
コナンはすぐに珠理にハンカチを渡した。
「さっき言ってた栄太郎くんって?」
珠理はハンカチで涙を拭いながら、話し始めた。
「去年、珠理と同じクラスだった男の子だよ。とっても頭がよくて、学校で起きた困り事なんかをすぐ解決してくれたの…あの子みたいに給食いっぱい食べる子で、目が青い子…」
「すぐ解決してくれるって、コナン君みたいだね」
歩美が楽しそうに声をあげ、灰原がそうねと微笑む。
「それで、その栄太郎くんは、今も同じクラスなの?」
コナンが尋ねると、彼女の目から再び涙がぽろぽろ零れた。
「それが…二年生に進級する時に、急に転校していなくなっちゃって」
珠理がしゃくりあげながら、栄太郎という少年のことを話した。
珠理のクラスに転校してきたという栄太郎は、髪も瞳も黒く、背は高いが日本人だったという。他の男の子より落ち着いていて、バスケが得意。隣のクラスの金魚がいなくなり、先生達も困り果てていたのに、栄太郎がすぐに解決したのをきっかけに、みんな彼に一目置くようになった。
珠理は家が近かったこともあり、栄太郎が何か事件に当たった時には、いつも積極的に付いていったのだという。それだけでなく、彼の両親はいつも仕事でいなかったので、珠理の母親が心配して、おかずをよく届けさせていたようだ。
一緒にある事件を調査しているところで、用具の下敷きになりそうだった珠理を助けてくれた際に、目が青くなったのを見たのだという。
「びっくりしたけど、綺麗だったよ。栄太郎くんが慌てて、このことは誰にも言わないで、虐められたらいけないから、て言ったから言わなかったけど、目が青くても誰も栄太郎くんのこと苛めたりしなかったと思うなぁ」
珠理の頬がピンク色になる。灰原と歩美はにやにやと笑みを広げた。
「好きだったのね、その栄太郎くんって子のこと…」
「うん、大好き!!」珠理は目を輝かせたが、その光はすぐ弱くなった。「お嫁さんにしてって言ったんだけど…もう嫁は勘弁してくれって…」
「もう勘弁してくれ?」コナンは苦笑いを浮かべた。「まるで過去に奥さんに逃げられたことあるような口ぶりだな…」
「二年生になる前の春休み、いつもと同じようにご飯届けに行ったら、もうその家は空き家になっちゃってて…先生に聞いたら、栄太郎くんは治療の関係で学校変わっちゃったんだって」
「治療?」灰原が眉をひそめる。「その子、病気だったの?」
「うん…学校に来てる時はそうでもないけど、体が弱くて、よく学校お休みしていたよ。授業中に、アイタタタって胸のところ痛がって、早退することも多かったの」
「早退する時、誰が迎えに来たの?お父さんとお母さんはいつもいなかったんだろ?」
コナンが怖い顔で迫るので、珠理は少し怖がりながら首を振った。
「ひとりで帰ってたと思う…わかんない。保健室にこっそり様子見に行ったりしたこともあるけど、いつも帰った後だったから…」
そこまで言って、彼女は、あ、と漏らす。
「でも親戚のお兄さんなら何度か見たことあるよ!!背が高くて、俳優さんみたいにかっこいいの!!」
「えっ!?なになに!?なんの話?あたしも混ぜてーっ」
俳優さんみたいにかっこいい、の部分だけ耳に入ったらしい園子が、興奮丸出しで割り込んできた。
「本当にかっこいいんだよ、栄太郎くんの親戚のお兄さん!!!いつも裏口で煙草吸っていてね、こんばんはって声かけたら、優しそうに笑って手を振ってくれたの。栄太郎くんと一緒に見かけたことはないけど、栄太郎くんに後から聞いたら親戚だって言ってた」
「そのお兄さんと話したことある?」コナンはにやりと笑った。「例えばさ…そのお兄さんの、かわいいかわいい息子の話とか…」
「あ、うん…聞いたことあるよ。息子のお誕生日だから今から送るんだって、赤い水玉の薔薇を持ってた時もあったよ。珠理もお花好きだから匂いをかがせてって言ったけど、急いでるからごめんね、て行っちゃった。別の日に、こないだはごめんね、て珠理の家の前に白い薔薇を置いてってくれたの」
素敵な人だね、と歩美は楽しそうに聞いているが、無理やり割り込んできた園子はがっかりしたように溜め息を吐き、さっさとその場から離れた。
灰原がコナンの裾を引っ張る。
「ねぇ、まさか、彼…」
「あぁ、俺の勘が正しければ」
ちらりと目を向けると、ジャックと剱崎もこちらを見て微笑んでいる。カレーはもう平らげたようだった。珠理も振り返って見ると、ジャックは慌てて俯き、顔を逸らした。

漆黒に染まった銀弾:17

銀髪の少年はジャック・ジェイムズと書かれた名札をつけている。それは合宿運営委員会の人から配られたもので、今回の参加者はみんな左胸につけているものだ。
「ジャック君っていうのね」
「荷物重たそうね?お姉さんが持ってあげよっか?」
女子高生とはしつこい生き物である。彼の気をなんとか惹きたくて、俯き黙りこむ彼にじりじり寄っていく。
「わたしたちも誘おうよ、あの子!!」
園子が嬉々として割り込んでいこうとするのを、コナンより先に蘭が止めた。
「ねぇやめようよ…あの子怖がってるみたいだし。なんか顔色悪いよ」
実際、ジャックは爪が食い込むほどショルダーバッグを握りしめ、うっすら冷や汗さえ掻いている。
「はいはーい、ジャック!!どこに行ってもモテモテだな君は!!こっちおいで!!」
コナン達が乗ったものとは違うバスから、大きな荷物を二つ抱えた男が、実によく通る声で言った。垂れ目で優しそうな、しかし地味な男である。ジャックの付き添いには相応しくないと、その場にいる女子高生達はみんな思っただろう。
しかし、ジャックはショルダーバッグを握りしめたまま、どこかホッとした表情で彼のもとへ駆けていった。
「お兄さん…かな」二人の背中を見ながら、歩美がつぶやいた。
「違いますよ。だってジャック君はお人形さんみたいな外国人でしたが、あのお兄さんは日本人ですし…名札にも漢字が並んでいましたよ」
光彦が得意気に指を立てる。先程の短い時間で名札にまで目をやっていたとは。コナンは密かに感心していた。
ジャックと、剱崎英一の名札をつけた男は、コナンたちと同じ大部屋だった。階段上になったところへ簡易ベッドが並べられ、縦に三つ、横に五つの十五人用。その内三つは運営委員会の人間が就寝する用のもので、参加者は十二人。ジャックと剱崎は一番入り口から遠い端のベッドだった。
「お、さっきの奴いるじゃねぇか」
元太が彼に駆け寄ろうとしたので、コナンは慌てて止めた。
「さ、さっきも嫌そうだったじゃねぇか…やめとこうぜ」
元太と光彦は不思議そうに顔を見合わせた後、にやも笑った。
「さてはコナン君…ジャック君が女性にモテモテだから、嫉妬していますね」
「凹むなよコナン!!お前もまぁまぁだと思うぜ」
ま、まぁ…それでもいいけど…。
「ほら、歩美ちゃん達も待ってるだろうから行こうぜ…夕飯のカレー作りの為に、まずは薪拾いって書いてただろ」
コナンは二人と阿笠博士を連れて、人数確認をした内庭へ向かった。何人か待ち遠しそうに準備万端な者もいたが、歩美達はまだ来ていなかった。
全員揃ったところで運営委員会の人間が山の中のルートを説明し、薪拾い用の新しい地図を配った。
「よぉーし!!たくさん拾うぞ!!」
「おいしいカレー作ろうね!!」
子供達は拳を突き上げ、楽しそうだ。コナンは何だか疲れていた。
レジャーに使うというからもう少し易しい道を用意していると思っていたのだが、その読みは甘かったようだ。元太と阿笠博士はすぐに音を上げるし、歩美は転んで足をくじいた。昨日の夜まで雨が降っていたらしく、薪に使えそうな枝がほとんどない。
「当日晴れたから予定通り決行したものの、山の中はまだ乾いてなくて、カレー作れない…なんてことになりそうだ」
「愚の骨頂ね」コナンのつぶやきを聞きながら、灰原は苛々していた。「そもそも運営委員会の彼らもボランティアで参加してるみたいだけど、下心が丸見えなのよ。あわよくば他の大学の女の子や女子高生とお近づきになろうってね」
「まぁでも…薪なんかなくたって、火を興せるように何か考えてあるだろ」
「何も考えてないみたいだよ」
頭の上からか細い声が降ってきたので、驚いて顔を上げた。灰原は小さく息を呑み、コナンの小さな背中に隠れる。
ジャックと剱崎英一だ。立ち入り禁止の場所にはあらかじめ赤いロープが張られているのだが、彼らはその内側にいた。
「あ、美少年」
疲れはてていたはずの園子の顔が明るくなる。
「あの、そっちは危ないから入っちゃだめなんですよ」蘭は少し怒った口調で、剱崎に言った。「早くジャック君と降りてきてください」
「あぁ、でも、その辺の道に落ちてきてる枝じゃあ湿って使えないでしょう?」
剱崎は悪びれる様子もなく、へらへら笑いながら言った。
「上の方ならちょっと日の差すところがありますから、まだ薪に使えそうですよ。子供のイベントとはいえ、こういうのは本気でやらないとね」
「あの、そういうことじゃなくて…子供達が危ないところに行かないように見ているのが保護者の役割でしょう!?」
「そっちの道の方がよっぽど危ないと思うけど」
それまで黙って足元の枝を拾っていたジャックが、蘭の足下を指した。
「土砂が流れ出て、道に泥や落ち葉があるから滑りやすい。幅は広いけど右手側は急斜面だし、そっちにはロープもガードレールもないから、子供が足を滑らせて落ちたりなんかしたら、ろくに掴むものもなくて真っ逆さまさ。それならバカな運営委員会の張ったロープなんて無視して、岩のある足場を選んで上がった方がいいよ。朝方は気温が上がったから、岩の上の泥は乾いているしね」
「ば、バカな運営委員会…」阿笠博士が苦笑する。「そこまで言わんでも」
「運営委員会に責任がないのだとしたら、企画者であるこの山の持ち主がバカだね。交流イベントなんて言って子供達に楽しんでもらおうとするのはいいけど、お金ケチってボランティアの大学生で回そうとして、結局こうやって安全な道をロープで塞ぐようなことが起きてるじゃないか。その内死人でも出るさ」
顔色ひとつ変えずすらすら喋るその姿は、どうもあのジンと結び付かなかった。だが見た目はジン・クロードと写っていた幼少期のジンである。奴が幼児化した説が正しければ間違いなさそうなのだが…。
灰原も何かを探るように彼を睨み付けるが、黒の組織の人間を前にした時のような怯えは見えない。
ジン…じゃないのか?
「まぁまぁまぁまぁ!」剱崎が重苦しい空気を絶ちきるように、声を張り上げた。「ハプニングがあった方が思い出に残るし、いいじゃないか!!ジャックが結構集めたし、よかったら君達に薪を分けるよ!!」
コナンと灰原は腹の底が冷える思いがした。もしかしてカレーを一緒に作るはめになるのか?
「なんかもっと王子様みたいな子だと思ってたけど、想像と違ったわね」
山を降りる道中、結局別れて降りていったあの二人のことで、話題はもちきりだった。園子は珍しい銀髪に神秘的なものを期待していたのか、ひどくがっかりした様子である。
「でもなんかコナン君みたい」歩美が少し顔を赤くしてつぶやく。「自信満々で、頭よさそうで…でも、やっぱり歩美はコナン君の方がいいなぁ」
「そうかぁ?」元太と光彦が不機嫌そうに睨んでくるが、コナンは何もかも聞こえなかったふりをした。
カレー作りで彼らが合流してくることはなかったが、すぐ隣のスペースで作業していたので嫌でも目についた。剱崎英一は一人でずっと喋っている。
ジャック見ろよ、すぐ火がついた。やっぱり天才っていうのは色んなとこでその芽を出すんだな…おいジャックなんだその切り方、バーベキューとかしたことないのか?おいジャック、この鍋ずいぶん底が薄いぞ、穴が空かないかなぁ…
こんな具合で、延々と一人で話し続けているのである。ジャックは不機嫌そうに顔を歪め、まったく答えない。何か義務でも課されたように黙々とカレーを作っている。
コナン達は人数が多かったので作るカレーの量も多く、できたのも他のグループより遅めだった。そろそろできるぞ、と阿笠博士が嬉々として声を上げた時に、あのぅ…と剱崎英一が申し訳なさそうに歩み寄ってきた。
「どうされました?」
「すみません…もしカレー余るようなことあったら、ちょっと分けていただけないかと…」
「ええ!?」園子が口を挟む。「だって、すぐ隣であなた達も作っていたじゃない!!もしかしてもう食べちゃったの?」
「あー…いやぁ…」
言いにくそうな苦笑いの剱崎を押し退け、ジャックが冷たい声で言った。
「こいつが鍋をひっくり返したんだ。最後の最後、皿に移しかえる時にね…」
よく見るとジャックの白いシャツには、ところどころカレーが飛び散ったような汚れがついている。剱崎は恥ずかしそうに頭を掻き、これもオンリーワンの思い出ってことで!と明るく言った。
「お前のそういうところ、ほんと尊敬するよ…腸が煮えくり返りそうなほど」
ジャックはむすっとしたまま腕を組んだが、直後に小さなお腹から大きな音が悲しそうに響いた。

漆黒に染まった銀弾:16

*********

浅草の事件からあっという間に月日は流れてしまい、コナン達は夏休みに入ってしまった。インターネット上でもクラウディオ・カーターの存在は全て消去され、黒澤サクラの惨たらしい事件に関する内容も全て消されていた。ジンの生死を確認することもできず、ブラック達がコナン達の周りをうろつくこともなく、不気味なくらい平穏な毎日が続いている。
「だが、ジャックがいる…俺らがこうしてる間にも、奴が息を潜めて銃口を向けてるかもしれねぇ…なのに」
「あ、コナン君、サンドイッチ食べる?」
送迎バスの座席で声を潜めるコナンと灰原に、蘭が笑顔でバスケットを見せた。卵やハムやレタス…今朝やけに早起きしてると思ったら、これを作っていたのか。
「わぁーい!!ありがとう!お腹ぺこぺこだったんだ」
コナンは無邪気に二つ取りだし、ひとつを灰原に手渡した。彼女は窓枠に頬杖つきながら、トマトとレタスの入ったサンドイッチを一口…
「なのに私たち、何してるのかしらね…」
「はは…情けねぇや…」
最初に言い出したのは歩美だった。小学校で配られたイベント一覧表に、学生を対象にした体験合宿の案内があったのだ。近隣の町にすむ学生たちでバーベキューやキャンプファイアを楽しみ交流を深めることが目的で、山羊の餌やりや釣りや川遊びなど、レジャー体験も豊富に揃えているというものだ。
阿笠博士に連れてってもらおうよ!!みんなで行ったら絶対楽しいし、新しいお友だちもできるかもよ!!」
もちろん、コナンと灰原はそんな気分ではなかった。消息を絶ったジンや、どこをうろついてるかわからないジャックのことで、精神がすり減っていたのだ。
「わたし焼けるの嫌だからパス」
「俺も…おっちゃんが同意書サインしてくれるか、わかんねぇーし」
その時はその時で、話は中断された。だが後日、全く同じ案内プリントを持ってきて、園子が遊びに来たのである。
「蘭!!これ行こうよ!!ここよく見て、テニスやバスケは近くの大学生がコーチします、ですって!!スポーツイケメンと交流を深めるチャンスよ~」
「もう、またそんなこと言って!!本当に京極さんに言いつけるよ?」
蘭も夏休みに家の掃除をしたいと言っていたので、まさか行くとは言わないだろうと考えていたのだが、園子は引かなかった。
「そういやあのガキんちょどもも行きたいって言ってたわよ。ちょうどさっきそこで会ってね…でも、コナン君は断ったそうよ」
「え?」蘭がこちらへ目を向けた。「どうして?キャンプとか好きなのに」
キャンプ好きなのはあいつらだけどな…
園子はにやりと悪巧みの顔になり、胸の前で両手を組み、目を潤ませた。
「夏休みは家の手伝いしなきゃいけないから、同意書のサインもらえないって…あぁ、可哀想に。せっかくの夏休みだってのに、蘭が掃除をしたいなんて言うからわガキんちょまで気を遣って」
「そうなの?コナン君」
もちろん否定した。が、もうそうなってはいくら否定しても信じてもらえず、夏休み入る前日に、蘭がもったいぶってサイン済みのプリントを出したのだ。
「コナン君、ジャンジャジャーン!!」
「え、蘭姉ちゃん…行かないんじゃ…」
「何言ってるの、せっかくの夏休みじゃない!!博士も行くって言ってたし、わたしと園子は同意書のサインだけで、保護者同伴は必要ないらしいし…問い合わせたら、わたしがコナン君の保護者ってことでもいいって♪よかったね!!」
「あ…うん…や、やったぁ…」
というわけで、今に至る。帝丹小学校に送迎バスが来て、山の方へ山の方へ向かっている最中である。
「どんなところかなぁ?楽しみだね!!」
コナンの左隣に座る歩美が、甲高い声ではしゃいでいる。どんなところって…あれだけ外遊びを推奨してるんだから、とんでもない山の中に決まっている。
「着いたら最初にサッカーしようぜ」
「元太くん、だーめ!!最初は山羊さん見に行くんだから!!」
「僕はカヌーやりたいです!!!」
三人はリュックを膝の上に乗せて、パンフレットだけで十分楽しそうだった。
「あんたら静かにしなさいよー!!他の人に迷惑でしょうがっ」
蘭と前の席に座る園子が振り返り、叱咤する。三人は興奮冷めやらぬまま、はーい!と元気よく返事をした。だから静かにしろって…。
到着した場所は案の定山の中だったが、思っていたより綺麗に整備され、清潔感のある施設だった。体が大きすぎて補助席に座れず、別のバスで来ていた阿笠博士も合流し、受け付けに名前と所属学校の名前を記入する。ランダムに大部屋に入れられるようだったが、男と女で分けられただけで、バラバラの部屋にされるようなことはなかった。
「よかったね、哀ちゃん!!蘭お姉さんたちもお部屋一緒だよ!!」
「バカね…人見知りの子もいるのに、本当にランダムにするわけないでしょ」
開会式という名の参加者の人数確認が始まり、施設の案内とレジャー施設の案内、各施設のコンシェルジュが紹介された後で、バスへ荷物を取りに行き、各部屋に運び込む段取りになった。
そこでやけに女子高生が集まってる一角を、園子が見つけた。
「え、なになに!?もしかしてイケメンがいるのかしら」
蘭の手を引っ張り走っていくので、子供たちも好奇心に負けて付いていき、仕方なくコナン達も倣った。
コナンと灰原の顔色が変わる。
「どこの町から来たの?小学校どこ?」
「ねぇ誰と来たの?」
「よかったらこの後のカレー、わたしらのグループと作ろうよ」
女子高生たちに囲まれ黄色い声援で耳が痛そうにしているのは、銀髪の少年だった。煩わしそうに聞こえないふりをするが、囲まれているので前に進めず、苛立っている様子である。
「やだー!!超かわいい!!ハーフかしら!?」
園子も一目見て気に入ったようだった。コナンと灰原はそっと群衆から離れて、困惑した間抜けな顔をお互いに見せ合った。
「あれ…もしかしてジンじゃねぇの?」
「で、でも、彼がこんなのに参加するかしら」
「いや…だって実際いるじゃねぇか。そうそういねぇよあんな髪の奴」
銀髪の少年は意固地に黙ったまま、大きなショルダーバッグを強く握り、不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。