漆黒に染まった銀弾:24

ジョディとキャメルが二人を保護するという名目で始まった生活の六日目。コナンはその部屋に遊びに来ていた。泊まり込みの許可は出なかった為、できる限りここに足を運ぶという形に切り替えたのである。ジンは記憶を取り戻す様子がまるでなく、規則正しく起きて掃除や洗濯をし、靴を磨き、ニュースを見て、全く汚れていない部屋をまた掃除し始めるのだという。お陰で部屋は入居した時よりきれいになった気がした。どうしてもやることがなくて暇な時は、ミニカーを転がして遊ぶのだそうだ。
「一緒に暮らしてた時は、俺もサクラも家にいないことが多かったから…」
彼の六歳児らしからぬ生活習慣をジョディに問われ、ジャックは申し訳なさそうな笑顔で答えた。こうしなさい、こうしておきなさい、家にいるのだからこれくらいしなさい、と毎度毎度きつく叱っていたら、気を利かせて自分でいろいろしてくれるようになったのだとか。
「あなた、それでよく今さら父親面できるわね!!あなたと暮らしてた時って、彼はまだ五歳でしょ!?はっきり言って虐待よ!!」
「め、面目ない…反省してるよ」
ジャックはジョディの怒りに気圧されて、彼女のことが若干苦手になっているようだった。
キャメルは相変わらず気に入られていた。彼は甘いものが好きで、このマンションに入居したばかりの時も、夕飯のついでにアイスクリームを買ってきたらしい。ジャックとジョディは食べなかったが、ジンが物珍しそうに見つめているのに気がつき、利き腕が使えない彼に食べさせてやったのだ。ジンは生まれて初めてこんなおいしいものを食べた、と言わんばかりに目を輝かせ、夢中で食べていたという。
「糖分とりすぎたらバカになると思って、おやつの類いは一切禁止してたし、サクラがあげたやつを食べたら叱りつけてたから…」
ジャックが悪びれず漏らすと、ジョディが再び睨み付ける。
「い、いや…サクラも組織の人間だし…なに企んでいるかわからないから…」
「叱ることないじゃない。だからこの子、すぐ狭いところに隠れるんだわ。大人はすぐ怒ると思っているのよ」
コナンがインターホンを鳴らしてこの部屋に入ってきた時、ジンの姿が見えなかった。彼はベッドとサイドテーブルの間や、洗面所の下、クローゼットの中など、インターホンが鳴る度に狭いところに隠れて息を潜めるのだそうだ。この日は溜まりに溜まった洗濯物の中に潜り込んでいた。
「俺と暮らしていた時は、そんな変な癖なかったんだけどなぁ…」
言い訳がましくつぶやくジャックを、飽きもせずジョディが睨み付けた。
「お母さんの言いつけみたいですよ」
リビングでうたた寝していたジンをベッドに移したキャメルが、戻ってきた。リビングテーブルのパソコンの電源を入れて、寝室のカメラ映像を引っ張り出す。ジンは寝る時でもミニカーを握りしめていた。
「お客さんがきたら隠れなさいって、ずいぶん厳しく言われていたみたいです。彼女は組織に戻っていたから、彼をトラブルに巻き込まないようにそう教えていたのかもしれませんね」
ジャックが不服そうに顔をしかめる。キャメルの方がよっぽど父親らしいわよ、とジョディに言われたこともあり、ますます目の敵にしているようだった。
「と、ところで、コナン君、今日沖矢さんは?」
キャメルが慌ててジャックから顔を逸らす。コナンはポケットから盗聴器を取り出して見せた。
「僕も沖矢さんもこっちに来ちゃったら灰原の方を見られなくなるから、僕だけ来たよ。ここでの話は沖矢さんにも聞こえるように、博士に作ってもらったんだ」
「犯罪グッズを作る天才だね、あの阿笠博士ってのは」
ジャックが意地悪な顔でそう言った。コナンは苦笑するしかなかった。
ジンが眠り込んでいることを確認して、ジャックは多少声を低めた。
「事前に一度話した通り、俺はあんたらの望む組織のことは、ほとんど話すことができない。何も知らされていないからだ。ブラックや俺は全く信用されていなくてね…ジンみたいに、あの方から直接指令を受けることもない」
ただ、と付け加え、一枚のコインを取り出す。五百円より一回り小さく、錆びた銅のような色をしている。
「ゴブリンのことならある程度知っている」
「ゴブリン?」
眉をひそめたコナンに、キャメルが答えた。
「ヨーロッパを拠点にしている裏組織だよ。イギリスの国家権力が絡んでいるのは明らかだけど、なかなか尻尾が掴めないらしい…ゴブリンっていう名前は、スポンサーのイニシャルからきているという噂だが…」
ジャックが神妙に頷く。
「ゴブリンの特徴は潤沢な活動資金だ。いくつかの国の血税が寄付されているのだから、当然といえば当然だがな…だが、金はあればあるだけ困らない。アポトキシンのデータを奪って不老不死の薬を作ろうとしたのも、その薬を各国のお偉いさんに法外の値段で売るため…まぁ、一番のスポンサーとも言える女王様がご所望、てのが最重要項目かもしれないが」
言いながら彼はコインをテーブルの真ん中に置く。複雑な花模様が縁どるように彫られて、真ん中に数字の羅列があった。不規則に並べられたものとは思えず、コナンはじっと目を凝らす。
「ゴブリンで古くから使われている暗号数字だよ。日本語らしく訳すなら、我の血潮は全て此の為に、てところかな」
「じゃあもしかして、この錆って」
「そのコインは、ゴブリンの活動拠点に入る時に必要なもので、それを持つことを許された者は自らの血で錆びさせる必要があるんだ。切りつけた傷につけて包帯で巻き付ける奴もいるし、度々採血してかける奴もいるし…」
ジャックはどうでもよさそうに説明し、次に黒いピルケースを出した。クラウディオに扮していたジョナサンが持っていたものと同じだ。
「飽くまで俺が知っている限りの話だが…ゴブリンではフェニックスと呼ばれていたのが、あちらさんの言うアポトキシン4869に通じる薬だ。ベースとなる化学式は同じだろうが、先に言ったようにゴブリンには潤沢な資金がある。もしかしたら研究はこちらの方が進んでいたかもしれない」
ピルケースが開けられる。黒いカプセルが二つ。中に液体が入っているのだとジャックは言った。
「注射器を刺して中の液体を吸い取り、静脈に注入すればOK。だが何らかの効果を期待できるのは、成人男性だとカプセル八つ分…さらには光にすこぶる弱くて、こういった遮光ケースに入れてないといけない。少しでも液体そのものに光が当たると、成分の比率が変わるそうだ。ちなみに俺は、遮光されたボトルに入った液をそのまま飲んだから、ジンみたいにその場で子供になることはなく、ブラックに運ばれている最中に子供になったと思われる」
黒いカプセルをつまみあげる。灰原に持って帰ったら、中の有効性分がアポトキシンと同じなのか違うものなのか調べてくれるだろうが、持って帰らせてはくれなさそうだ。
「そんな薬がこの世に存在するなんて…」
ジョディは頭を抱え、顔を青くしている。キャメルも神妙な顔をしながらも、パソコンの画面ですやすや小さな寝息を立てているジンを気にしているのがわかった。
「そんな薬を開発することができるなら、癌の特効薬やAIDSの根治も夢じゃなさそうに聞こえるのは、私が卑屈な女だからかしらね?」
嫌味ったらしく続けたジョディに、ジャックは首を振って見せた。
「さすがに思い通りの薬なんて、早々にできるものじゃなくてね…
俺がブラックと組んだのは、もう十年以上前…ジンの二十歳の誕生日を迎える前だったんだ」
「十年以上!?」ジョディの脳裏にはベルモットの美しい微笑みが過った。「てことはあなた、子供化した薬を飲んでから今まで成長しなかったってこと!?」
「そういうこと…だが姿形は子供のままでも、退化を強要された臓器や骨には大きなダメージが残っていて、その症状の進行具合は日に日に増すばかり…
コナン君の推理で唯一外れていたのは、一時期小学校に通っていた俺の体調不良は演技だろうってところ…あれは本当に体内に限界が来ていて、しょっちゅう心臓発作を起こしそうになっていたんだ。ここ二、三年は、横流しされた強い痛み止打ちまくって、なんとかごまかしているってところかな」
「じゃあ、もしかしたら彼も…」
キャメルが心配そうにジンの映る画面を見た。
「いや、ジンは病院で記憶障害のこと以外は特に言われていなかったし、脳に大きなダメージがあった分、他には影響がなかったのかもしれない。
副作用もそれぞれで、死ぬ奴もいれば植物人間になる奴もいるし、臓器が溶けて死んだような奴もいたらしいから、結局、どれが有効性分として発揮されるかわからないってことだろう。
フェニックスを飲まされた実験台は数えきれない人数いるが、死なずにいるのは、俺が知っている限りじゃ俺とジンと、もうひとり初めての成功例になった奴がいるくらいだな。そいつは名前も顔も知らんから、今も生きているのかわからないが…」
そこまで喋ったところで、ジャックとキャメルが同時に、あ、と声を上げた。パソコンの画面に映っていたジンが、ごそごそと動き始めていた。
目を覚ましたジンはしばらくぼんやり部屋の中を見ていたが、やがてゆっくりベッドから降りて、コナン達がいるリビングの方を覗きに来た。
「おはよ、ジン!!」
さっきまで無愛想な顔で喋っていたとは思えないくらいの笑顔で、ジャックが迎え入れる。ジンもよくわからない状況に置かれている中で、同年代の彼には多少心を許しているのか、遠慮がちに微笑む。
「おい、ジャック、さっきの話…」
「君、まだいたの?」ジャックはにっこり笑って、コナンの肩に手を置いた。「今日はもう日が暮れそうだし、帰ったら?ほら、あのスタイルのいい空手のお姉さんも心配してるよ」
そのまま玄関の方へ無理やりコナンの体を推し進め、ジンが付いてきてないことを確認すると、声を低めた。
「ジンの前で組織に関連することは話させないよ。その拍子に大人の時の記憶が戻ったら可哀想じゃないか」
「て、お前まさか…このままジンがただの子供になって、人生やり直せたらとか思ってんじゃねえだろうな!?」
「さっすが名探偵!!」
ジャックは靴と一緒にコナンを追い出し、さっさと玄関に鍵をかけてしまった。
くそっ、あいつ…俺をこんな体にした張本人を、記憶喪失なんかで逃がさねぇぞ!!
心で毒づくも、今のところ手も足も出ないのが現状である。ブラックもジョナサンもゴブリンも動きを見せないし、ジンもただの子供として生活をしているばかりだ。いくつか引っ掛かる点が残っているので、それについて頭を働かせるくらいしかできなかった。