漆黒に染まった銀弾:26

ロンドンの駅で爆破事件。テロリストによる犯行か。
北海道で大規模な交通事故。暴走したトラックの運転手、未だ見つからず。
日系アメリカ人の資産家、サム・タカナシ・ジョリー氏死去。
外交官横領疑惑。明日にも釈明会見をするとの発表。
海水浴場にサメ四匹確認。立ち入り禁止の措置無視して若者が侵入。
「こうして見ると、日本っていうのはずいぶん気楽な国だな」
広げていた新聞を閉じて、沖矢昴に扮した彼は笑った。キャメルは生乾きで異臭を放ち始めている洗濯物を洗濯機に入れながら、自分の足元で大人しくしているジンをちらりと見た。
リビングの方には、この家に居候する沖矢昴、呼び出されたコナン、キャメル達と来たジャックがいる。ジョディはジェイムズに呼ばれて席を外したばかりだ。ここに来ようと言い出したのはジャックだが、キャメルはジンを連れてくることを反対していた。ジンに恋人を殺されて復讐の炎に身を焦がす彼の元に、今のジンを連れていったらどうなるのか、想像できなかったからだ。
ジンも彼から何か感じるのか、怖がって近寄りたがらず、ずっとキャメルに付いて回っている。
「ネックレスと同じ羽根か…」
コナンはジンから借りたネックレスと羽根を見比べ、眉間に皺を寄せる。確かに似ているが、ネックレスの方は銀一色なので判別が難しい。
「わざわざジンのところにそれを置いてったんだ…それしか考えられないだろ。まぁ、その羽根が何を示しているのかはわからないが」
ジャックもネックレスを触りながら、眉を寄せていた。
沖矢が首を伸ばし、キャメル達の方を覗き込む。ジンは体を小さくして、キャメルの足に隠れる。
「大丈夫だよ、怖い人じゃないから」
キャメルが優しく声かけても、ジンはキャメルのズボンに顔を押し付けたまま、沖矢の方を見ようともしない。
「不自然だと思ったんだ」コナンは腕を組むと、子供らしからぬ低い声で言った。「黒澤サクラがジンに持たせたこのネックレス…仮に組織のデータが何らかの形で入っているとしても、それはもう二十年以上前のもの。ゴブリンが目の色変えてそれを取り戻そうとするなら、黒澤サクラが殺された直後じゃないとおかしいだろ?」
「確かに」ジャックが頷く。「ゴブリンが裏切り者の俺を追っていたのも、もうずいぶん昔の話だ…ブラックと組んでからは子供の姿になってしまったし、奴らも俺は死んだものと考えたのか、いつまでも俺を追うのがバカバカしくなったのか、途中からぱったり気配を見せなくなったからな」
「もしくは別に追うべき案件が持ち上がったのか」
沖矢が再び洗濯機の方を覗く。洗濯物を全て入れて回し始めたキャメルが、大きな体に小さな子供を抱いて、こちらに加わるところだった。
キャメルに抱っこされたままソファに座り、ジンはキャメルの肩にミニカーを走らせる。
サラリーマン風の男がケータイで一体何を言ったのか、ジャックもジョディもキャメルも尋ねてみたが、ジンは悲しそうな顔で黙り込むばかりなのだ。あんまりしつこく聞くと余計に警戒して口を閉ざすだろうとコナンが言うので、工藤邸に来てからはまだ誰もその話を切り出していなかった。
インターネットで鳥の羽根をいろいろ見ている内に、くーきゅるるるるる、と小さな音が聞こえた。
「何だキャメル、腹減ってるのか?」
沖矢がからかうように言うと、キャメルは申し訳なさそうに、いや…と口ごもる。そうしている内にまた、くーきゅるるるるる、きゅるるる、と繰り返し音がした。
ジンがちらりと周囲を窺い、キャメルの胸に顔を埋める。
「あの、朝からきっと何も食べてなくて」
「なるほど」沖矢が微笑みを浮かべ、ジンの頭を撫でた。「昨日の残り物だけど、ハヤシライス食べるかい?」
ジンはキャメルの顔をちらりと窺い、また顔を隠す。キャメルは内心ハラハラしていたが、沖矢は気にする素振りも見せず、温めて持ってくるよ、と言い残しキッチンへ向かった。
「赤…あ、いや、沖矢さん、子供苦手そうだから心配だったけど…」
「沖矢さん別に子供苦手じゃないと思うよ」コナンが向かいのソファでにっこり笑って見せる。「僕の友達の相手もしてくれるし…好きかどうかはわからないけど、遊んでくれるから嫌いではないんじゃないかな」
「あ、そうなんだね」
沖矢はジン以外にもハヤシライスを振る舞った。一体昨夜に何人分作ったのか不思議なところもあるが、キャメルはジンを抱っこしたまま食べた。スプーンならジンも何とか一人で食べられるのだが、皿を支えるのは難しいので、キャメルの分を二人で食べる形になった。
「アイスクリームもあるけど、食べる?」
ハヤシライスを食べ終わりそうな頃合いに、沖矢が言った。ジャックはいい顔をしなかったが、返事を聞く前にキッチンへ取りに立つ。
ジンは空腹を満たされたからか、さっきまで程は警戒を見せない。口の周りを拭きながら、それでもキャメルから離れようとはしないのだが、カップのアイスクリームとスプーンを人数分トレイに準備する沖矢の背中を覗き込んでいる。
「ジン、行儀悪いから座りなさい」
ジャックの冷たい声が横から飛び、せっかく頬赤らめて嬉しそうだった少年の顔が曇ってしまった。
アイスクリームは硬いので、キャメルが掬って食べさせた。半分食べたかどうかという辺りで、コナンが不意に口を開けた。
「ねぇ、そういえばこの羽根、どこで拾ったの?」
羽根をつまんでジンの前に差し出しながら尋ねた。ジンは口の中でアイスクリームが溶けるのを待ってから、案外すんなり答えた。
「知らない人にもらった」
「へぇ、いいなぁ。僕も同じのほしいんだけど、どこで拾ったとか、その人何か言ってなかった?自分で拾いに行くからさ」
コナンが手を合わせて問い詰めると、ジンは困ったように首を傾げた。短い時間だが一緒に暮らしていてわかった。これはジンが何かを思い出そうとする時の癖なのだ。
ハヤシライスで空腹を満たしたのも、前にキャメルが食べさせたと話したことのあるアイスクリームの用意があったのも、閉ざされた子供の口を開かせる為のものだったのかと気づく。さすが赤井さん、と感心する気持ち半分、企みがあった行為であって子供への優しさではなかったということにがっかりした気持ちが半分あった。
ジンは頬に人差し指を一本指して、さらに首を傾げた。
「ZOO…」
「えっ?」
「730…ZOO」
「動物園…」
コナンと沖矢が顔を合わせる。
「他には?」
「あとは…読めなかった」
「読めなかった?」
「英語、読めないから。文章だったけど読めなかった」
「ジンはイタリアに生まれて、その後サクラとニューヨークに行ったんだと思う。家ではイタリア語か日本語だったから、この歳のジンは、サクラが教えてなければ英語知らないかもしれない」
ジャックが少し後悔するような顔つきでつぶやく。元々、両親がそれほど話さない上に外に出さなかったものだから、言葉を覚えるのもずいぶん遅く、四歳になるまではほとんど喋れない状態だったとも付け加えた。
「自分が言うのも変だが、ほんと、あんた親として何一つできちゃいないな」
キャメルがジンを抱き直しながら、それとなくジャックから離れる。
「別に言葉なんて後から覚えたらいいし、外に出さないからその必要も」
ジャックが反論してる途中に、ケータイが鳴った。ジャックのポケットからである。その場に緊張が走り、ジャックは口に指を立てながら応じた。
「どうした、ブラック」
コナンと沖矢が唾を飲む。ジャックはスピーカーボタンを押し、ジンにも静かにするようジェスチャーで念を押した。
「ジンはどうしてる?」
ブラックの背後からは街の喧騒が聞こえた。
「どうしてるも何も、相変わらずだよ。記憶は取り戻しそうにない。お前は、解毒剤の方はどうだ?」
「そのジンの記憶なんだが…どの辺りの記憶まで残ってるんだったかな」
ジャックの顔が歪む。
「俺もはっきりはわからないが…多分、サクラが死ぬ直前じゃないか」
「そうか」ブラックは少し間を置いてから、自嘲気味につぶやいた。「それならサクラが死んだ時の記憶もなくなったんだな」
「何でそんなこと聞くんだ?」
「いや…サクラを殺した時、ジンはその場に見当たらなかったが、もしかしたら近くにいて見ていたんじゃないかと思ってな。そんな記憶があったら、もう俺になついてくれなくなるだろ?」
「だから、何で今さらそんなこと聞くんだよ?ジンが見ていたんなら、最初からお前のとこに行きはしなかっただろ」
「念の為だよ、念の為…」
通話は切られた。
ジャックの胸の内に、言い様のない不安が立ち込める。沖矢とコナンも顔を見合わせて、不気味な予感に顔をしかめる。
「黒澤サクラが殺された直後に起こるはずのことが、二十年以上経った今、起きているってわけか」
「赤…沖矢さん…」キャメルが困惑した声を漏らす。「ジンが…」
キャメルに抱かれているジンは、小さな体を震わせ、元から白い肌をさらに青白くさせていた。
「ジン!!」ジャックが駆け寄るが、キャメルの背が高くジンに届かない。「ジン、どうした!?ジン!!」
「こわいひと…」ジンは声まで震えていた。「お母さんのところにくる、こわいひとの声…」
「ブラックのことか」
キャメルはジンを抱いたまま背中をさすり、書斎に連れていっていいかコナンと沖矢に聞いた。
「あんなたくさん本があるところも見たことないだろうし、珍しいから、気が紛れるかもしれませんし…」
「あぁ、構わないだろう」沖矢はコナンを一瞥してから頷く。「ただ目を離すなよ」
「ええ、もちろん」
キャメルとジンはリビングを出ていった。
「さて…とりあえず、七月三十日に動物園に行くべきだろうが、問題はどこの動物園かってことだ」
コナンは鳥の羽根を再びつまみ上げる。
「この羽根がヒントなんだろうが…大きさからして、タカ、トンビ、フクロウ辺りかな…」
沖矢はパソコンの前に座り、キーボードを叩き始める。ジャックとコナンはその両脇から覗き込んだ。
「とりあえず、都内の動物園をリストアップして、鳥類に関する特徴がないか調べて潰していこう」
「げぇ」都内の動物園の多さを目の当たりにし、ジャックが顔をひきつらせる。「しらみ潰しじゃないか」
「でも案外絞れていくと思うぜ?」コナンは得意気に笑った。「虎や象みたいな派手で目立つ動物ならともかく、鳥類をメインにするなんて動物園、少ないだろうからな。入ってすぐに見える動物がこの羽根の持ち主である可能性も考えたけど、この羽根はおそらく中形から大形の鳥…動物園の最初に並べられる鳥はもっと小さいのが一般的だよ」
「そういうこと」
沖矢が軽快にエンターキーを叩く。無数に見えたリストは一気に四つまで絞れた。
森ノ宮動物園…世界でも珍しい始祖鳥の足跡の化石を展示している。
帝都動物園…ここはハヤブサのショーを夏の間だけ行っている。
フォーゲルパーク…鳥の種類だけ言うなら日本一。動物園というよりは動植物園だな。
星空の動物園…ここは夜行性の動物だけなので営業時間は夜。フクロウの販売もしている」
森ノ宮動物園はないな」ジャックが冷めた声で言った。「関連性が薄すぎる。この羽根が始祖鳥のものだって証明できるものがあるなら、別だけどね」
沖矢とコナンも同意らしく、森ノ宮動物園はすぐにリストから削除された。
ハヤブサに、鳥の種類が多い動植物園、そしてフクロウ…」
三人で揃って顎に手をあて、う~ん、と唸っているところで、キャメルが大騒ぎしながら戻ってきた。
「皆さん、大変ですよ!!大変です!!!!」
「どうした?キャメル」
キャメルは持っていた分厚い本を三人の見えるところに広げ、片隅の小さな写真を指した。ジンが持っている羽根と同じものが写っていた。
「でかしたぞキャメル」
沖矢が笑って見せると、キャメルは照れ臭そうに頭を掻いた。
「いえ…工藤さんがたくさん本を持っていてくださったお陰ですね。鳥類だけでもたくさん図鑑がありましたから」
コナンは表紙を机の下から覗きこみ、こんな本うちにあったのか…と驚いた。一通り目を通しているつもりでも、記憶とは曖昧なものである。
「セイカーハヤブサ」ジャックが凛々しく飛び立つメインの写真を指した。「ということは…決まりだな」
「あぁ…七月三十日に、帝都動物園のハヤブサショーで、何かあるかもしれない」
言いながら、少年探偵団にはバレないようにしなきゃいけない…とコナンは危惧した。黒の組織に関する事件にあいつらを巻き込むわけにはいかないし、何より面倒くさかった。
ジンは何が何やらわからない様子だったが、キャメルが嬉しそうなことは察したらしく、裾を引っ張ってよかったねと耳打ちした。キャメルはその愛らしさに顔を綻ばせながらも、この子はいつまでも平穏に暮らすなんてことは許されないのだと思うと、胸が詰まる思いだった。