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漆黒に染まった銀弾:29

指定された待ち合わせ場所にウォッカが戻ると、公衆トイレの入り口から人の足が覗いてるのを見つけて、慌てて駆け寄る。血だらけのジョナサンが横たわっていたので、脈を確認しようと手を伸ばしたが、すぐに掴まれて生きていることは確認できた。
「悪い、悪い…ちょっと横になって休んでただけですよ」
ジョナサンはだるそうに起き上がり、ウォッカの手を借りながら車に乗り込む。ポケットから煙草を取り出すが、赤く濡れていて使い物にならなさそうだった。
「ブラックは…?」
ウォッカが恐る恐る尋ねると、ジョナサンはにっこり笑った。
「逃げられました。お腹空かせた獣みたいな奴だと思ったが、まさか逃げ足も速いとはね」
「何発撃ち込まれた?」
「まともに当たったのは一発…腰の辺りです。それより十発近くヒットした素手の方が、ダメージがでかいみたいで」
歩き方がおかしいとは思ったのだ…各所折れているのだろう。だがジョナサンは相変わらずにこにこ笑顔のままで、一見そんな大怪我を負っているとは思えない。
ジョナサンがウォッカに接触してきたのは、ジンがキャメルに病院へ運ばれた時だった。ウォッカは買い与えたミニカーに発信器を取り付け、手離さないよう強く言い聞かせて、ジンを逃がした。だが直後に病院へ運ばれたものだから不安が押し寄せ、簡単な変装をして様子を見に行こうとしたのだ。
「残念ながら会わせるわけにはいかないんですよ」
看護師たちにコナン達が追い払われた後で、病室を間違えたふりをして入るつもりだったのだが、医者に止められた。その医者こそが、変装をしたジョナサンだった。
病院の屋上に連れ出され、煙草を吸いながら彼は話した。
「一気にたくさんの情報を今から言いますよ」
サム・タカナシ・ジョリーが死にかけていること、その遺産相続の権利がジンにあること、自分はサム・タカナシに代々仕えている家系の者であること、サクラが生きていた時からジンの世話をしていたこと、ゴブリンに潜入しジャックと知り合い薬の検体にもなったこと、ジンにサクラの遺品を手渡さなければならないこと、ジンに遺産を相続するか否かの意思を聞かなければならないこと…。
情報量は覚悟していたより少なかったが、内容が想定の範囲を悠々と越えていて、ウォッカはなかなか素直に飲み込むことができなかった。
「怖がらなくていいですよ…俺はジンの敵じゃありません。むしろ今は、ジンの為になら何だってしますよ。サクラの遺志ですから…」
サクラの名前を出す時のやわらかな声で、この男が黒澤サクラに惚れていたことはわかる。
ウォッカはジンのことを思い出していた。そういえば組織からの命令でない時は、ジンは感心するほど財力に無関心だった。財をなげうってでも命乞いする輩も多いが、ジンは冷めた目でそれを見つめるだけで、心揺らぐどころか唇ひとつ動かさない。あれは上流階級の血筋というものが、本能的にそうさせるのだろうか…
「何で俺に話しに来たんだ?」
ジョナサンは愚問だとばかりに鼻を鳴らした。
「別にこの為に来たわけじゃありませんよ…ジンがゴブリンの奴らに襲われたみたいだから、様子を見に来たんです。そしたら同じように、ブラックに見つかるリスクを負って下手な変装で会いに来た男を見かけたから、声かけたんです」

漆黒に染まった銀弾:28

「羽根くれたおじさん」
ジンが嬉しそうにキャメルに紹介した男は、米田と呼ばれた係員の格好をしていたが、マスクを破りとるとコナンも見たことのある顔だった。
「お前、何でここにいるんだよ、ジョナサン!?」
ジャックも把握していなかったらしく、困惑と動揺が露になっている。ジョナサンは答える気などさらさらなさそうで、ブラックから奪い取ったカセットテープを沖矢に投げつけた。
「ジンを連れて逃げてちょーだい、ジャックさん。運転手つきの車を裏口すぐに準備してるからさ」
「いや、でも」
ブラックが立ち上がる。結構派手に顎を蹴られたように見えたが、どうやら体まで強靭なようだ。
ジョナサンは飄々とした態度で首を振った。
「あなたには内緒だったんだけど、俺、本当はあなたよりずっとずっと強いんだなぁ」
それでも踏み出せないジャックを沖矢が抱き上げ、ジョナサンの言った裏口へ急いだ。フェンス越しにファミリーワゴンが見える。後部座席のドアが開けっ放しになっており、開くフェンスからそのまま雪崩れ込むように乗った。
ドアが閉められ、発進した直後に、銃声が三発響いた。
「尾行は?」
コナンが後方を窺う。
「今は大丈夫そうだな」沖矢が細長い溜め息を吐き出す。「バケモノみたいな奴だな、あのブラックって奴は…全く隙が見つからなかったよ」
「ジョナサンって、確か最初にクラウディオに変装して来た…」
キャメルが口を開いたところで、ジンが運転席の方へ首を伸ばす。運転席に座っている男はレストラン街でジンに声をかけた太った店員で、ジンがじろじろ見つめていると、やけに困惑して運転しにくそうだった。
キャメルが慌ててジンを抱き寄せる。
「こら、だめだよ!!フロントガラスから君が見えたら、せっかく逃げてこれたのに…」
「ミニカーのおじさん」
「え?」
コナンが血相変えて前のめりになり、運転手を睨み付ける。運転手は決まりが悪そうに俯いたり横を向いたりしているが、変装してても骨格まではなかなか隠せないものである。
「ミニカーのおじさんって、一緒に暮らしてたっていう…」
ウォッカだ、とコナンも沖矢も気づくが、口に出すわけにはいかない。記憶を失っているジンの前なら構わないが、ウォッカの前で自ら正体を露見するようなことは避けたい。
「どこ行くの?」
人見知りの激しいジンが、ごろごろ喉を鳴らす猫のように、ウォッカにはすり寄ろうとする。一緒に暮らしている間に余程の好印象を残したのだろうが、キャメルは少し妬けた。
「悪い人が追ってこないところだ」
「そこでまた一緒に暮らすの?」
「いや…俺は仕事に戻らないと」
「じゃあお父さんがいるの?」
ジャックの顔が歪む。今にも泣き出しそうなその悲痛な顔は、座席の陰になってジンからは見えなかった。
「お父さんは、いない…自分で決めるんだ、どうするか」
ジンも悲しそうな顔になる。
「………お母さんは、もういないの?」
核心を突くようなことを突然言うものだから、その場にいる者全員が、咄嗟に答えることができなかった。その沈黙で悟ったのか、ジンは口元だけで微笑んで見せて、大人しくキャメルの隣に座った。
ウォッカが車で送ってくれた先は、町中にあるビジネスホテルだった。キーを手渡され、名残惜しそうにジンを見てから、彼は運転席に戻ろうとした。
「なぁ…」ジャックがその背中に声をかけた。「お前が何でジョナサンとつるんでるのか知らないが…ブラックじゃなくてジョナサンとってことは、やっぱり…」
「…その子、よろしくな…」
ウォッカは車に乗って去っていく。ジンが小さく手を振った。
ジョナサンが用意したらしい部屋にはカセットデッキが準備されていた。ジンはベッドに横たわり、今まで経験したことのない大きな哀しみに、頭も体も動かない様子である。母親のカセットテープを一緒に聞いていいか尋ねた沖矢にも生返事で、人形のようだった。
ガシャン、ジー…と、懐かしい音が響く。
(ジン、起きなさい)
音割れした女性の声が響くなり、それまで上の空だったジンが、電流を受けたように起き上がった。黒澤サクラの声なのだろう。雑音が多くて聞き取りづらいが、クールな顔立ちに似合わず、わりと愛らしい声だった。
しばらく生活音のようなものが続いてから、再び彼女が喋りだす。
(昨日もご飯残したの?ちゃんと食べなさい。それ全部食べるまで、ジェリービーンズはお預けよ)
ジンが何か話しているようだが、聞き取れない。だが日常風景を切り取ったテープであることは間違いない。しばらく食事をする音がして、サクラが食器を洗う姿が想像できる。
(じゃあ行ってくるからね。外に出たらダメよ。窓やカーテンを開けてもダメ。誰か来たら静かにして)
(誰もいないふりをするよ)
(とても頭のいい子ね。今度帰ってきたら映画に連れていってあげる。約束ね)
サクラが出掛けたらしく、ドアの閉まる音がした後、長い間、無音が続いた。
静寂をやぶったのは、ドアをノックする音だ。
(坊っちゃーん…坊っちゃーん)
ジャックが顔を歪める。「この声…まさか、ジョナサン!?似てるだけか!?」
沖矢が口元に指を立てる。しばらくあらゆるドアの開閉する音がした。
(みぃーつけた。さ、お食事ですよ)
料理する音。ジンが駆け寄り、一言二言喋ってから、また離れる。また駆け寄ると短く会話し、また離れていく。
(お母さんは入院することになりましたからね。少なくとも三ヶ月は入ってなくてはいけないでしょう…週に一度は俺が来られるとは思いますが)
(お母さんに言われて来るの?)
(あー…いいえ。お母さんでなくて、あなたのおじいさまに言われて、俺はここに来ているんですよ)
ジョナサンはサム・タカナシの方の人間か、とコナンは眉をひそめる。ゴブリンに黒の組織にサム・タカナシ…全員が何かしらの目的を持って、ジンを、もしくは遺産を狙っている。
(外に出られない間、お家では何をされているのですか?)
ジョナサンの声が大きく、はっきりしたものになる。遠くで電車のような音がするのに、声の方がしっかり聞こえているということは、窓際にでもカセットデッキが置いてあって、窓からは電車の通る姿を臨むことができるといったところか。
(掃除とか、洗濯とか…)
(テレビは見ないのですか?ラジオは?)
(音がするから…誰もいないふりをしないと…)
(それはいけませんね。世間知らずは時に命を落とします。世間で何が起こっているか把握しておくことは、多少なりとも武器になります)
そう言い、ジョナサンはすらすらと当時の事件を話して聞かせる。電車の音が過ぎるとジンがどこかに立ち去ろうとしたのか、待ちなさいきちんと聞きなさい、と諌める声がした。
ジョナサンはサクラがいない間だけ、それも昼から夕方の間だけ訪ねてきていたようで、ほとんどはジンひとりで過ごしている。カセットテープ二本分、おそらくサクラが入院しているという三ヶ月の内の、ジョナサンが来た時の日常的な会話が入っていた。
三本目は、サクラの声から始まった。
(ちゃんと録れているかしら?私の声は聞こえる?ジン・クロード)
ジャックがカセットデッキの方へ一歩、耳を澄ませるように踏み出す。
(明日の朝には、ジンをあなたのところへ出発させるわ。ひとりでちゃんと飛行機に乗れるか心配だけど…)
サクラの声が詰まる。生活音も電車の音もジンの気配もなく、録音した場所が別の部屋なのか、もしくは夜が深い時間帯だったのか…冷たく寂しい孤独が音もなく聞いてる方に伝わってくる。
(私はきっと…もう、あの子に会えないのね。今日が最後になるんだわ)
サクラの声が歪む。泣いている。
(あなたは私を恨んでいることでしょうね…あんなに、仕事しか頭にないようなあなたが、人間らしく父親ぶるとは思わなかったわ…私が気づいてないと思った?夜中に子供に公衆電話の受話器を取らせるなんて、もうほんと、考えられない…ジンが誘拐なんてされていたら、あなたどうするつもりだったの?)
彼女は自嘲気味に笑ってから、しばらく啜り泣いた。ジンが心配そうな顔でベッドから降りて、カセットデッキに歩み寄る。ジャックがその手を強く握った。
深呼吸を何度か繰り返して、サクラは再び口を開く。
(私じゃ、ジンを守れないの…
あの子、私に内緒でこっそり外に出ていたみたいで…あの子のこと、組織の人間に勘づかれたと思う。
ブラックって呼ばれている男がいるの…その男が、命は見逃してやるから、ジンを寄越せって言ってきたわ。目的はわからないけど、彼がまた厄介な人で…きっと私を殺してでも奪おうとするわ、ジンのこと。
こういう時、母親は非力ね…子供の前で人を殺すなんてできない…子供の為になら何でもできるけど、子供の前でできることはすごく限られるのよ…)
ジャックの手に力が入る。ジンが困ったように瞬きをして、痛い…とつぶやいたが、力は緩められなかった。
(愛してるのよ、私…私、ジンのことを愛してる…こんな、何もしてあげられない母親だったけど…私…)
「お母さん」ジンがか弱い声で、カセットデッキに声かけた。
サクラは泣き崩れて、嗚咽を漏らした。キャメルがもらい泣きをして、鼻をかむ音が響く。ジャックの目は恐ろしいくらい渇いていて、どんな感情を抱いているのか、全くわからない。
(ジンに…ジンに言ってあげること、でき…できなかった…けど、愛してるわ…愛してるの…
ジンのこと…よろしくね。ご飯あんまり食べないから、食べさせてね…あんまり外に出さなかったから、暑いのとか、眩しいのが苦手だから…徐々に外でも遊ばせてあげてね…たまには甘いものも許してあげてね…
できたら、学校にも行かせてあげてね…
公園なんかで、同年代の友達と遊ぶジンも、見たかったわ…どんな子と喧嘩して、どんな子を好きになるか、見たかったわ…)
さすがにコナンも胸が痛んだ。このテープは父親に届くこともなく、ジンはブラックに連れ拐われ、学校に行かせないまま組織内で育てられた。サクラの切実な願いは、叶うことなかったのだ。
長い沈黙を挟んで、最後にサクラは言った。
(ジンが二十歳になったら、日本の帝都動物園に連れていってあげて。きっと誰かが出迎えてくれて、あなたにも全て話してくれると思うから)
三本目のテープが終わった。
「二十歳のタイミングで、サム・タカナシと会わせる予定だったのか…」
「予定が大きくずれちまったな」コナンは同情じみた声で言った。「ブラックさえ、この夜に来なければ…」
ジン・クロードの待つロンドンへ息子が発つ前夜に、黒澤サクラは殺された。今のジンの記憶はこの当時まで遡っているはずである。
ジャックはジンの手をやっと解放した後、デッキから三本目のテープを抜いた。
「俺も、言ったことはなかったんだ」
急につぶやき、コナン達を驚かせた。彼はデッキに向かったまま、つまりコナン達やジンに背中を向けたまま、ぼそぼそと続ける。
「言えなかった、どんなに気持ちはあっても…言ったら自己満足で終わってしまう気がした」
「愛してる、て話か?」
コナンが尋ねてもそれには答えず、振り返ったジャックはジンに笑いかけた。
「ごめんな、ジン…こんな両親で」
思えばその時の笑顔は、今までのジャックとはかけ離れた妙なもので、ずいぶんすっきりした、何かを割りきったような清々しいものであった。あの時既に彼は決めていたのだろう。その場ですぐに気づくことができなかったのは、後々コナンに大きな後悔を与えた。

漆黒に染まった銀弾:27

七月三十日。ジェイムズとジョディは灰原哀の護衛の為に工藤邸の留守を任され、キャメル、ジャック、コナン、沖矢、ジンは、レンタカーで帝都動物園に向かった。ハヤブサショーは午後二時から。日曜日の午後は混むだろうということで、午前十一時に家を出た。ジャックは帽子を深く被り、牛乳の底のような分厚い眼鏡をかけている。
キャメルが運転席に座るので、助手席に沖矢が座るものだと思っていたのだが、コナンが座ったので困惑した。
「夫婦でもないのに隣に並ぶ必要もないだろう」
彼は冗談めかして笑った後、後部座席に乗り込みジンを膝に乗せたので、キャメルはとても驚かされた。記憶を失い子供になっているとはいえ、恋人の仇そのものであるのに、彼は平静でいられるのだろうか。
ジンの荷物は決まっていた。ネックレスを首にかけて、ミニカーを左手に、羽根を右手に持っている。
「そのミニカー、とても大事に持っているんだね」
沖矢が声かけると、ジンは警戒心丸出しの目をちらりと向けただけで、何も答えなかった。
「…どこかコンビニで、沖矢さんと俺、変わりましょうか?」
「いや、向こうで昼飯食べるなら急いだ方がいいだろ。パンフレットも早く見たいしな」
ジンに無視されたことを何とも思っていないのか、沖矢は笑ってそう言い、めげずにそれからも何度か声かけていた。しかしジンは居心地悪そうにするばかりで答えず、たびたびバックミラー越しにキャメルを見つめる。寂しそうな悲しそうなその目に、キャメルは心痛むばかりだった。
帝都動物園に着くと、運転席から降りたキャメルにジンが飛びついた。キャメルは当然のように彼を抱き上げ、入り口へ向かう。
「あのさ、六歳の子供に抱き癖ついたらいけないから、そんな甘やかさないでもらえないかな」
ジャックが冷たく言い放ったが、ジンが離れたがらないのだから仕方ない。それに、治りかけているとはいえ、足を怪我していたのだ。また傷が開いてもいけないし…などなど心中で言い訳を散々しながら、自分にだけ甘えて笑いかけてくれる子供の可愛さに心はすっかり奪われていた。
結局、キャメルはジンを抱きかかえたまま入場した。
「俺もどちらか抱っこした方がいいだろうか?」
沖矢がそんな笑えないジョークを言うので、ジャックとコナンは必死で首を振った。
家族連れが多く、どの檻にも子供がへばりついている。たまにジンの汗を拭いてやりながら、キャメルは象や虎やライオンなど人混み掻き分けながら見せてやった。
「動物園は初めてかい?」
キャメルが尋ねると、ジンは頷いた。
「好きな動物は?」
「………ねこ」
「そっかぁ。でも猫は動物園にいないんだ。残念だなぁ」
ジンが本当に残念そうな顔をしたので、フラミンゴの前で風船を配っているのを指して、貰いに行こうと言った。
「ほら、君たちも貰いに行ってこい」
三歩ほど引いて様子を見ていた沖矢が、二人の小さな背中を押す。ジャックとコナンはどこか日陰で休みたかったのだが、キャメルとジンの様子だと昼過ぎまで動物の檻を巡りそうである。
風船を配っていた係員の男は、ジンを見てにっこり笑った。
「こんにちは!!休日のパパに甘えているのかい?」
赤い風船を受け取りながら、ジンは不思議そうに彼をじっと見つめる。
「でももう赤ちゃんじゃないんだから、自分で歩いて楽しむことも覚えてほしいな!!自由に好きな動物見に行けるのも素敵だよ!!」
ジンが何か言いかけたところで、係員はコナンとジャックの方へ風船を持っていった。
「はい、君たちも!!」
コナンのは白い風船にパンダのシルエットがプリントされている。ジャックは黄色に虎のプリント。空に飛んでしまわないように、子供が手首にはめられる形になっていた。
風船の束を持ったまま、係員はパンダの檻の方へ移動していった。
「さすがに六歳の子をずっと抱っこしてたらおかしいですかね?」
キャメルが恥ずかしそうに沖矢に尋ねる。沖矢は、アメリカだとそんなに目立たないんだがな、と答えた後、係員の消えていった方を見つめた。
「妙だと思わないか」
「え?」
「キャメルとジンを見て、彼は当たり前のように日本語で話しかけてきただろ?二人ともどう見たって日本人には見えないだろうに…」
言われてキャメルも気がつく。続けてコナンが口を開いた。
「しかもジンの足には包帯がまだ巻いてあったのに、歩けることを知っているかのような口ぶりだったな…」
「風船の束だけ持ってるのも変だしな」ジャックが鼻を鳴らす。「ガスのタンクも予備の風船もなし…まるで俺らがこっちに来るのを見計らって、適当な数だけ掴んできたような」
「あ、後を追いますか!?」
キャメルが慌ててパンダの方へ目を向けるが、三人は同時に首を振った。
「正体も掴めないし、仲間がどれだけいるかもわからない…もう少し泳がされているふりをして、探ろう」
不安そうな顔のキャメルを見て、沖矢は笑った。
「昼飯にしよう。この子達がさっきから日陰で休みたいってうるさいから」
園内にレストラン街と名付けられたフードコートがあり、様々なジャンルの出店があった。キャメルはジンを下ろしてしっかり手をつなぎ、何が食べたいか聞いてみた。
「アイスキャンディー」
「は?だめだよ」ジャックが不機嫌を露に口を挟む。「アイスキャンディーはご飯じゃないし、そもそもあんなの冷やして固めた砂糖の塊みたいなものだから、体に良くないに決まっているし」
「別にいいじゃねぇか」コナンが面倒くさそうにジャックを制する。「何でもいいなら早く座ろうぜ?」
「いや、だめだ。サクラが連れていってからは知らないが、俺と暮らしている時には食べるもの触るもの全部に気を遣ってたんだから。あ、丼ものあるじゃないか。あれにしよう」
ジャックが指した先は、ご飯ものを中心とする出店が並んでいた。肉の焼ける匂いやカレーの匂いがどこからともなく流れてきて、コナンとキャメルの胃袋を誘惑する。
「うまそー…俺、焼き肉丼にしようかな」
「あ、俺もそれを…沖矢さんとジャックは?」
「栄太郎、ね」ジャックは怒りにひきつる顔でキャメルを睨み付ける。「ここ来る前に決めたことくらい、覚えててほしいものだね」
「じゃあみんな焼き肉丼でいいか?」
沖矢が面倒そうに言い、買いに行ってくれた。残りの四人はジャンケンをし、負けたコナンが近くの自販機に人数分のお茶を買いに行く。
「飯食うにはじゃまくさいな、風船」
コナンの分も預かって両手の塞がったジャックが、顔をしかめる。
「椅子の足に引っ掻けられるようになってるぞ」
キャメルが椅子の足を指しながら教えると、ジャックは感心したように口笛を鳴らし、風船を椅子に預けた。
会計を済ませた沖矢と、お茶を五本抱えたコナンが戻ってきて、昼食ができるまでパンフレットを広げた。園内の地図が書いてあるものと、ハヤブサショーの案内が書いてあるものの、二枚だ。
「戦後からあるんだな、この動物園」
ジャックがどうでもいいことをつぶやいたが、誰も反応しなかった。
ハヤブサショーの会場がここで、俺たちのいる場所がここ…さっき風船配ってたのがここ…」
「まさか、ロンドンみたいに爆破したりしねぇだろうな、ゴブリンって奴ら」
「可能性は低いんじゃないかな…組織的に派手なパフォーマンスは嫌うから」
地図を覗き込んで怖い顔を突き合わせたが、わからないことが急にわかるはずもなく、焼き肉丼ができた。沖矢とキャメルで手分けして運び、昼食が始まる。
ジンはろくに食べず、特に肉を残して箸を置いた。アイスキャンディーが食べたくて胃袋を空けているのかとも考えたが、ジャックが否定する。
「元々食が細いんだ。ブラックといる時でもろくに食べない」
残りはキャメルがぺろりと平らげた。空になった容器を覗き込んで、ジンが指差す。
「何か書いてる」
容器の底に、帝都動物園に関するクイズがあった。どれもパンフレットを見れば答えが載っているような問題で、容器を捨てる前に係員か出店の人間に問題と答えを見せたら、記念品のコースターがもらえるのだ。
キャメルが問題を読んだ。
ハヤブサショーの二代目エースは、なんて名前だったかな?だって」
ジンが考え込むように空を見上げてしまったので、ジャックがハヤブサショーの案内を広げる。裏面に歴代のハヤブサたちの写真と名前が載っていた。
コナンも覗きこみ、二代目の名前を確認した。が、その時視線の端に捉えた名前に意識を奪われた。
「四代目のハヤブサの名前、ジンって書いてあるぞ」
コナンが指差し、沖矢やジャックも目の色を変えた。ジンだけが興味なさそうに頬杖を突きながら、問題の答えである二代目を指した。
「サム」
にっこりキャメルに笑って見せるジンの元へ、まるで待ち伏せていたかのようなタイミングで、太った係員が通りかかる。
「お、もしかして、クイズがわかったかい?」
四人が警戒し、空気がピリッと鋭くなる。ジンはしばらく係員の顔をじっと見た後、空容器の底とパンフレットに載っているサムを指した。
「正解だ!!おめでとう」
係員のポケットからコースターが出てくる。ライオンの写真がプリントされたものだった。彼はジンの頭を撫でながら続けた。
「ちなみにハヤブサの名前はね、この動物園の動物にエサを買うお金をくれる人たちがつけてきたんだよ。大体が自分の名前を付けたがるらしいけどね」
ジンは瞬きを二回、ゆっくりした後で、係員の顔をまたじっと見た。
「じゃあ、ゆっくり楽しむんだよ。あ、そうそう、今日だけのスペシャルイベント、未来ロッカーなんてものもあるから、よかったら見においで」
そのままその係員も去っていった。ジンが遠慮がちに手を振ったが、彼は小走りに行ってしまって、気づいてもないようだった。
コナンはにやりと口角を上げた。
「なるほど…そういうことか」
「何かわかったのか?」
「あぁ…わかったよ」コナンはジャックを見据え、頷いた。「あんたの可愛い一人息子が、こないだ死んだ資産家、サム・タカナシ・ジョリーの遺産相続人だってことがな」
「えええっ!?」と声を上げて驚いたのはキャメルだけだった。沖矢はクールなまま、ジャックは冷めた目でコナンを見ている。
「あのな、ジンは間違いなく俺の息子なんだぞ。俺はそんな胡散臭い資産家とつながりはない」
「あんたはな。サム・タカナシの血を引いていたのは、黒澤サクラの方だ」
「あの女が?」
ジャックはますます冷たい目になった。
「公表されてないから、愛人か何かの娘なんだろうがな。黒澤サクラが組織にいたのは、スポンサーとか間接的な形で父親が関わっていたからだろう。だからサム・タカナシは、スパイ活動中に生まれたジンの存在は知っていたはずだ。
ところで、日本ではあまり知られていなかったこの日系アメリカ人の資産家が、何で今回死んだ時には世界的ニュースになったかは、知っているか?」
ジャックもキャメルも首を振る。沖矢だけが、得意気に微笑んで見せた。
「莫大な遺産があるにも関わらず、彼の身内はみな死んでいるから…その遺産の行方について世界中が興味津々だ。
その上、サム・タカナシ・ジョリー氏の奇妙な遺言が話題を呼んでいる。我の遺産は全て孫に与える、と。彼は孫どころか、四人いた娘や息子も未成年の内に事故や病気で亡くしているから、孫などいないはずなのに…」
「なのに、遺言は有効とされた」コナンが引き継いで口を開く。「戸籍はなくとも、彼に孫がいることを証明する人間が多くいたんだろう」
「で?なんでそれがジンなんだよ?」
コナンはハヤブサショーの案内を持ち上げ、二代目サムを指す。
「このサムの名前をつけたのは、サム・タカナシ・ジョリーだろう…多額の寄付をして、最初は自分の名前をつけたんだ。そしてジンの名前をつけたのは、おそらく黒澤サクラ。三代目を空けたのは、ジンとサムの関係が孫と祖父であることを表す為だ。
ハヤブサの羽根をジンに置いていき、今日動物園に行くようメッセージを残した人物が誰かはわからないが、そいつはきっと日本人でなくて、ハヤブサと他の鳥が似ていると黒澤サクラが思ったことを知っているんだ」
ハヤブサと似てる鳥、か…」
沖矢がにやにやとキャメルを一瞥する。キャメルは恐る恐るといった様子で口を開いた。
「もしかして、鷹?」
「そう、鷹匠なんかが有名だから、外国人はこういうショーを鷹と勘違いすることが多いんだ。もしかしたら日本人でも見分けつかないって人は多いかもね」
「待て待て」ジャックはため息混じりに苦笑した。「まさかとは思うが、鷹じゃないハヤブサだから、鷹じゃなし、つまりタカナシってわけか?そんな子供騙しな暗号あるかよ?」
「子供騙しなんだよ…」
コナンはジンを見てから、ジャックの目をまっすぐに見つめた。
「だってこの暗号は元々、黒澤サクラがいつかジンと父親を会わせる時に、ここでジンに解かせる為のクイズだったんだから」
ジャックは咄嗟にジンを見た。首にかかっているネックレスが、寂しそうに沈黙を守っている。
「じゃあこのネックレスは、盗まれたデータでも何でもなくて、サクラがジンにクイズさせる時の為の、しょうもないヒントでしかないのかよ?」
「そういったらそれまでだが」沖矢が口を挟んだ。「もしそのヒントに、遺産相続のキーワードが隠されているとしたら、今ごろになってジンを追いかけ回す連中が増えても不思議じゃない」
「サム・タカナシ・ジョリーの遺産…日本円で見積もって30億近くとも言われているからな…ゴブリンが欲しがるのも無理はねぇよ」
「それなら何でジンに薬を?」ジャックの声が段々と荒くなる。「ジンさえ連れ出せれば、こんなことする必要なかっただろう?」
「たぶん交渉するつもりだったんだろ。解毒剤をやる代わりに、相続する上で必要な情報を聞き出そうと思って」
「相続する上で必要な情報?」
「ブラックが聞いてきただろ?サクラが殺された時の記憶が今のジンにあるか?て…あれはたぶん、サクラの遺言があるならそれが必要かもしれないってことだ。サム・タカナシの遺産を相続する為には条件を満たす必要があって、それはジンの髪の毛や血液でDNA鑑定を突破しても、知ってなくちゃ相続できない、もしくは答えなければならない問いがある、てところかな」
「じゃあ…ブラックも…あいつも金目当てで…」
ジャックはショックを隠しきれず、青ざめる。
「まぁ、だがまだネックレスのシリアルナンバーがある。確かめに行こうじゃないか、黒澤サクラがジンに遺したものを。キャメル、念のためジンは抱いておいてくれるか?」
「はい!!」
キャメルは言われた通りしっかりとジンを抱き上げ、赤い風船も忘れず持った。
帝都動物園の未来ロッカーは有名で、コナンもある程度は知っていた。夏休み中の一日だけ、しかもチケットに当たりの文字が出た人だけ受け付けてもらえる、要はタイムカプセルだ。帝都動物園が運営している限り思い出をしっかり管理します、というコマーシャルも一時期流れていた。預けた手紙や荷物を受けとるには預けた人の名前と暗証番号が必要で、それを言えば身分証明書などはいらない。
ネックレスの留め具に刻まれたシリアルナンバーは、暗証番号だったのだ。
未来ロッカーの受け付けにはまだそんなに人はいなかった。動物園を満喫してから思い出を預けに来る人が多いのだろう。ハヤブサショーが始まる直前の今は、係員も少なく、静かだった。
「受け取りに来たのですが」
沖矢が受け付けに行き、黒澤サクラの名前とシリアルナンバーを告げる。係員の女はにこにこ愛想よく頷き、確認にキーボードを叩く。
不意に彼女の顔が曇った。
「どうかしましたか?」
「あ…あの、このお荷物は、ついさっき、別の方が取りに来られてるみたいで…」
彼女は不安そうに眉を寄せた後、裏口から出てきた男性係員に声をかけた。
「あの、米田さーん…」彼女は沖矢の方を振り返り、早口で言った。「あ、今一緒に出てきた、あの人です。あの人が同じ荷物取りに来られたみたいですが」
男性係員の後ろからにこやかに出てきたのは、オールバックの男だ。
「ブラック!!!!!!!!!!!」
ジャックが叫ぶと彼もこちらに気がつき、にこやかな顔のまま近づいてくる。思わず数歩後退りするが、彼は沖矢にもコナンにもジャックにも気をとられることなく、まっすぐジンの方へ来た。
「やぁ、元気かい?」
ジンは怖がるように体を強張らせて、キャメルにしがみつく。キャメルはブラックから隠すように体をよじらせ、睨み付ける。
「俺のこと、忘れちゃったんだね?」
ブラックは寂しそうに笑う。
「ブラック、お前…」
ジャックが噛みつこうとしたところで、ブラックは得意気に、カセットテープが四本入った袋を見せた。
「お前たちもこれが欲しいんだろ?一足先に俺が貰ったわけだが、どうする?条件によっては譲ってやってもいいぞ」
「元はこの子のものだ」キャメルが吠えた。「母親も殺して、この子の人生も滅茶苦茶にして、どれだけ奪えば気が済むんだ!!」
「俺が奪ったのか?」ブラックはちらりとジャックを見た。「俺は、ジンを救済したつもりでいたんだけどな」
「ほざくな。お前は金目当てでサクラを殺してジンを奪ったんだろ。金目当てでないなら必要ないはずだからな、サクラの遺言なんて」
「だから譲ってやるよ」ブラックは目の前でカセットテープをゆらゆら揺らして見せた。「ジンと交換だ」
ジンがぎゅっとキャメルのジャケットを握りしめる。キャメルが頭を撫でると、懇願するような顔でじっと見つめ返してきた。
「大丈夫、君を渡したりしない」
ブラックは鼻を鳴らし、ケータイを取り出すような手つきで、ピストルを取り出した。
「まぁ、もらえないなら無理やり奪うまでなんだけど」
サイレンサーもなしに?」コナンも腕時計に手をかけながら、頃合いを見計らっている。「こんな日曜日の動物園で銃声なんてしたら、みんなびっくりして、すぐ警察が来ると思うけど?」
「みんなってどこにいるんだ?」
ブラックが周囲に目を向ける。未来ロッカーの受け付けだった女性係員も、男性係員もいつの間にか姿を消しており、コナン達の周囲には誰もいない。遠くからハヤブサショーが始まったと思われる喧騒が聞こえてくるだけだった。
「俺ならお前ら全員殺した後にさっさと逃げることもできるけど、どうする?そうなったらジンもカセットテープも俺の手に渡ることになるのだけど。ここで大人しくテープとジンを交換しておいた方が、そっちは残るものが多いんじゃないか?」
沖矢が少し足を動かしただけで、さっとピストルの向きを変える。偽物のジン・クロードを殺した時にも思ったが、このブラックという男はとにかく反射神経が鋭く、その上耳も鼻もいいのだろう。どんな小さな動向も見逃さないから、相手の攻撃をかわし、隙を見つけるのが上手い。遠距離から狙えば訳もないだろうが、接戦だと沖矢でも難しい相手だと言わざるを得ない。
「ふっ…」
沖矢が笑い、ブラックが眉をひそめる。
「いやね…どんな動物にも、天敵っているものだな、と」
「そこまで自分のジークンドーに自信があったのか?あか…」
ブラックがその名を口にしかけたところで、彼の神経が初めて背後の気配に反応し、振り返る。だがその時にはもう遅く、ブラックの横顔目掛けて蹴りが飛ばされた。
ジンがちらりと様子を窺った後、少し嬉しそうに顔を緩めた。
「羽根くれたおじさん」
「お前…」ジャックも、ブラックを蹴倒した男を見て、間抜けな顔をしていた。「な、何やってんだよ…」
彼はにっこり笑い、ジンからしたらおじさんかぁ、と残念そうに言った。

漆黒に染まった銀弾:26

ロンドンの駅で爆破事件。テロリストによる犯行か。
北海道で大規模な交通事故。暴走したトラックの運転手、未だ見つからず。
日系アメリカ人の資産家、サム・タカナシ・ジョリー氏死去。
外交官横領疑惑。明日にも釈明会見をするとの発表。
海水浴場にサメ四匹確認。立ち入り禁止の措置無視して若者が侵入。
「こうして見ると、日本っていうのはずいぶん気楽な国だな」
広げていた新聞を閉じて、沖矢昴に扮した彼は笑った。キャメルは生乾きで異臭を放ち始めている洗濯物を洗濯機に入れながら、自分の足元で大人しくしているジンをちらりと見た。
リビングの方には、この家に居候する沖矢昴、呼び出されたコナン、キャメル達と来たジャックがいる。ジョディはジェイムズに呼ばれて席を外したばかりだ。ここに来ようと言い出したのはジャックだが、キャメルはジンを連れてくることを反対していた。ジンに恋人を殺されて復讐の炎に身を焦がす彼の元に、今のジンを連れていったらどうなるのか、想像できなかったからだ。
ジンも彼から何か感じるのか、怖がって近寄りたがらず、ずっとキャメルに付いて回っている。
「ネックレスと同じ羽根か…」
コナンはジンから借りたネックレスと羽根を見比べ、眉間に皺を寄せる。確かに似ているが、ネックレスの方は銀一色なので判別が難しい。
「わざわざジンのところにそれを置いてったんだ…それしか考えられないだろ。まぁ、その羽根が何を示しているのかはわからないが」
ジャックもネックレスを触りながら、眉を寄せていた。
沖矢が首を伸ばし、キャメル達の方を覗き込む。ジンは体を小さくして、キャメルの足に隠れる。
「大丈夫だよ、怖い人じゃないから」
キャメルが優しく声かけても、ジンはキャメルのズボンに顔を押し付けたまま、沖矢の方を見ようともしない。
「不自然だと思ったんだ」コナンは腕を組むと、子供らしからぬ低い声で言った。「黒澤サクラがジンに持たせたこのネックレス…仮に組織のデータが何らかの形で入っているとしても、それはもう二十年以上前のもの。ゴブリンが目の色変えてそれを取り戻そうとするなら、黒澤サクラが殺された直後じゃないとおかしいだろ?」
「確かに」ジャックが頷く。「ゴブリンが裏切り者の俺を追っていたのも、もうずいぶん昔の話だ…ブラックと組んでからは子供の姿になってしまったし、奴らも俺は死んだものと考えたのか、いつまでも俺を追うのがバカバカしくなったのか、途中からぱったり気配を見せなくなったからな」
「もしくは別に追うべき案件が持ち上がったのか」
沖矢が再び洗濯機の方を覗く。洗濯物を全て入れて回し始めたキャメルが、大きな体に小さな子供を抱いて、こちらに加わるところだった。
キャメルに抱っこされたままソファに座り、ジンはキャメルの肩にミニカーを走らせる。
サラリーマン風の男がケータイで一体何を言ったのか、ジャックもジョディもキャメルも尋ねてみたが、ジンは悲しそうな顔で黙り込むばかりなのだ。あんまりしつこく聞くと余計に警戒して口を閉ざすだろうとコナンが言うので、工藤邸に来てからはまだ誰もその話を切り出していなかった。
インターネットで鳥の羽根をいろいろ見ている内に、くーきゅるるるるる、と小さな音が聞こえた。
「何だキャメル、腹減ってるのか?」
沖矢がからかうように言うと、キャメルは申し訳なさそうに、いや…と口ごもる。そうしている内にまた、くーきゅるるるるる、きゅるるる、と繰り返し音がした。
ジンがちらりと周囲を窺い、キャメルの胸に顔を埋める。
「あの、朝からきっと何も食べてなくて」
「なるほど」沖矢が微笑みを浮かべ、ジンの頭を撫でた。「昨日の残り物だけど、ハヤシライス食べるかい?」
ジンはキャメルの顔をちらりと窺い、また顔を隠す。キャメルは内心ハラハラしていたが、沖矢は気にする素振りも見せず、温めて持ってくるよ、と言い残しキッチンへ向かった。
「赤…あ、いや、沖矢さん、子供苦手そうだから心配だったけど…」
「沖矢さん別に子供苦手じゃないと思うよ」コナンが向かいのソファでにっこり笑って見せる。「僕の友達の相手もしてくれるし…好きかどうかはわからないけど、遊んでくれるから嫌いではないんじゃないかな」
「あ、そうなんだね」
沖矢はジン以外にもハヤシライスを振る舞った。一体昨夜に何人分作ったのか不思議なところもあるが、キャメルはジンを抱っこしたまま食べた。スプーンならジンも何とか一人で食べられるのだが、皿を支えるのは難しいので、キャメルの分を二人で食べる形になった。
「アイスクリームもあるけど、食べる?」
ハヤシライスを食べ終わりそうな頃合いに、沖矢が言った。ジャックはいい顔をしなかったが、返事を聞く前にキッチンへ取りに立つ。
ジンは空腹を満たされたからか、さっきまで程は警戒を見せない。口の周りを拭きながら、それでもキャメルから離れようとはしないのだが、カップのアイスクリームとスプーンを人数分トレイに準備する沖矢の背中を覗き込んでいる。
「ジン、行儀悪いから座りなさい」
ジャックの冷たい声が横から飛び、せっかく頬赤らめて嬉しそうだった少年の顔が曇ってしまった。
アイスクリームは硬いので、キャメルが掬って食べさせた。半分食べたかどうかという辺りで、コナンが不意に口を開けた。
「ねぇ、そういえばこの羽根、どこで拾ったの?」
羽根をつまんでジンの前に差し出しながら尋ねた。ジンは口の中でアイスクリームが溶けるのを待ってから、案外すんなり答えた。
「知らない人にもらった」
「へぇ、いいなぁ。僕も同じのほしいんだけど、どこで拾ったとか、その人何か言ってなかった?自分で拾いに行くからさ」
コナンが手を合わせて問い詰めると、ジンは困ったように首を傾げた。短い時間だが一緒に暮らしていてわかった。これはジンが何かを思い出そうとする時の癖なのだ。
ハヤシライスで空腹を満たしたのも、前にキャメルが食べさせたと話したことのあるアイスクリームの用意があったのも、閉ざされた子供の口を開かせる為のものだったのかと気づく。さすが赤井さん、と感心する気持ち半分、企みがあった行為であって子供への優しさではなかったということにがっかりした気持ちが半分あった。
ジンは頬に人差し指を一本指して、さらに首を傾げた。
「ZOO…」
「えっ?」
「730…ZOO」
「動物園…」
コナンと沖矢が顔を合わせる。
「他には?」
「あとは…読めなかった」
「読めなかった?」
「英語、読めないから。文章だったけど読めなかった」
「ジンはイタリアに生まれて、その後サクラとニューヨークに行ったんだと思う。家ではイタリア語か日本語だったから、この歳のジンは、サクラが教えてなければ英語知らないかもしれない」
ジャックが少し後悔するような顔つきでつぶやく。元々、両親がそれほど話さない上に外に出さなかったものだから、言葉を覚えるのもずいぶん遅く、四歳になるまではほとんど喋れない状態だったとも付け加えた。
「自分が言うのも変だが、ほんと、あんた親として何一つできちゃいないな」
キャメルがジンを抱き直しながら、それとなくジャックから離れる。
「別に言葉なんて後から覚えたらいいし、外に出さないからその必要も」
ジャックが反論してる途中に、ケータイが鳴った。ジャックのポケットからである。その場に緊張が走り、ジャックは口に指を立てながら応じた。
「どうした、ブラック」
コナンと沖矢が唾を飲む。ジャックはスピーカーボタンを押し、ジンにも静かにするようジェスチャーで念を押した。
「ジンはどうしてる?」
ブラックの背後からは街の喧騒が聞こえた。
「どうしてるも何も、相変わらずだよ。記憶は取り戻しそうにない。お前は、解毒剤の方はどうだ?」
「そのジンの記憶なんだが…どの辺りの記憶まで残ってるんだったかな」
ジャックの顔が歪む。
「俺もはっきりはわからないが…多分、サクラが死ぬ直前じゃないか」
「そうか」ブラックは少し間を置いてから、自嘲気味につぶやいた。「それならサクラが死んだ時の記憶もなくなったんだな」
「何でそんなこと聞くんだ?」
「いや…サクラを殺した時、ジンはその場に見当たらなかったが、もしかしたら近くにいて見ていたんじゃないかと思ってな。そんな記憶があったら、もう俺になついてくれなくなるだろ?」
「だから、何で今さらそんなこと聞くんだよ?ジンが見ていたんなら、最初からお前のとこに行きはしなかっただろ」
「念の為だよ、念の為…」
通話は切られた。
ジャックの胸の内に、言い様のない不安が立ち込める。沖矢とコナンも顔を見合わせて、不気味な予感に顔をしかめる。
「黒澤サクラが殺された直後に起こるはずのことが、二十年以上経った今、起きているってわけか」
「赤…沖矢さん…」キャメルが困惑した声を漏らす。「ジンが…」
キャメルに抱かれているジンは、小さな体を震わせ、元から白い肌をさらに青白くさせていた。
「ジン!!」ジャックが駆け寄るが、キャメルの背が高くジンに届かない。「ジン、どうした!?ジン!!」
「こわいひと…」ジンは声まで震えていた。「お母さんのところにくる、こわいひとの声…」
「ブラックのことか」
キャメルはジンを抱いたまま背中をさすり、書斎に連れていっていいかコナンと沖矢に聞いた。
「あんなたくさん本があるところも見たことないだろうし、珍しいから、気が紛れるかもしれませんし…」
「あぁ、構わないだろう」沖矢はコナンを一瞥してから頷く。「ただ目を離すなよ」
「ええ、もちろん」
キャメルとジンはリビングを出ていった。
「さて…とりあえず、七月三十日に動物園に行くべきだろうが、問題はどこの動物園かってことだ」
コナンは鳥の羽根を再びつまみ上げる。
「この羽根がヒントなんだろうが…大きさからして、タカ、トンビ、フクロウ辺りかな…」
沖矢はパソコンの前に座り、キーボードを叩き始める。ジャックとコナンはその両脇から覗き込んだ。
「とりあえず、都内の動物園をリストアップして、鳥類に関する特徴がないか調べて潰していこう」
「げぇ」都内の動物園の多さを目の当たりにし、ジャックが顔をひきつらせる。「しらみ潰しじゃないか」
「でも案外絞れていくと思うぜ?」コナンは得意気に笑った。「虎や象みたいな派手で目立つ動物ならともかく、鳥類をメインにするなんて動物園、少ないだろうからな。入ってすぐに見える動物がこの羽根の持ち主である可能性も考えたけど、この羽根はおそらく中形から大形の鳥…動物園の最初に並べられる鳥はもっと小さいのが一般的だよ」
「そういうこと」
沖矢が軽快にエンターキーを叩く。無数に見えたリストは一気に四つまで絞れた。
森ノ宮動物園…世界でも珍しい始祖鳥の足跡の化石を展示している。
帝都動物園…ここはハヤブサのショーを夏の間だけ行っている。
フォーゲルパーク…鳥の種類だけ言うなら日本一。動物園というよりは動植物園だな。
星空の動物園…ここは夜行性の動物だけなので営業時間は夜。フクロウの販売もしている」
森ノ宮動物園はないな」ジャックが冷めた声で言った。「関連性が薄すぎる。この羽根が始祖鳥のものだって証明できるものがあるなら、別だけどね」
沖矢とコナンも同意らしく、森ノ宮動物園はすぐにリストから削除された。
ハヤブサに、鳥の種類が多い動植物園、そしてフクロウ…」
三人で揃って顎に手をあて、う~ん、と唸っているところで、キャメルが大騒ぎしながら戻ってきた。
「皆さん、大変ですよ!!大変です!!!!」
「どうした?キャメル」
キャメルは持っていた分厚い本を三人の見えるところに広げ、片隅の小さな写真を指した。ジンが持っている羽根と同じものが写っていた。
「でかしたぞキャメル」
沖矢が笑って見せると、キャメルは照れ臭そうに頭を掻いた。
「いえ…工藤さんがたくさん本を持っていてくださったお陰ですね。鳥類だけでもたくさん図鑑がありましたから」
コナンは表紙を机の下から覗きこみ、こんな本うちにあったのか…と驚いた。一通り目を通しているつもりでも、記憶とは曖昧なものである。
「セイカーハヤブサ」ジャックが凛々しく飛び立つメインの写真を指した。「ということは…決まりだな」
「あぁ…七月三十日に、帝都動物園のハヤブサショーで、何かあるかもしれない」
言いながら、少年探偵団にはバレないようにしなきゃいけない…とコナンは危惧した。黒の組織に関する事件にあいつらを巻き込むわけにはいかないし、何より面倒くさかった。
ジンは何が何やらわからない様子だったが、キャメルが嬉しそうなことは察したらしく、裾を引っ張ってよかったねと耳打ちした。キャメルはその愛らしさに顔を綻ばせながらも、この子はいつまでも平穏に暮らすなんてことは許されないのだと思うと、胸が詰まる思いだった。

漆黒に染まった銀弾:25

夜が深くなり、生ぬるい静寂が町をゆっくり覆う頃、寝息を立てているふりをしながら耳を澄ませていたキャメルは目を開けて、なるべく音を立てないようにベッドを降りる。すぐに追うと気づかれてしまうので、リズムをむゆ乱さず寝息を立てながら、ドアに耳を当てる。
VGPはちま玄関のドアを開ける音。相手もなるべく音を立てないよう、緊張で体を強ばらせているのがわかる。
ドアの閉まった音を聞いてから、キャメルも玄関に出た。
「今から行きます」
エレベーターが下に降りていく表示を確認しながら、小さな声でケータイの向こうにいる男へ呼び掛けた。
マンションを出て、すぐに路地裏へ回り込み、駆け足で待ち合わせた場所へ向かう。そこで待っていたのは、フードをかぶりマスクをつけた赤井秀一だ。
「赤井さん、わざわざすみません」
「いつもあそこなのか?」
赤井は親指で道路を指した。今時珍しい公衆電話があり、先程こっそり部屋を抜け出したジンが入っている。
「あ、はい…ここに来てから毎晩、あの公衆電話で三時間ほど何かを待っているようで…」
「組織からの連絡か?」
「でも、あの子、本当にただの子供みたいで、記憶が戻っているようには思えないんです。そんな子に指令を出したとしても…」
「それはわからない…俺はまだ信じちゃいないからな」
赤井は冷たく言い放つと、鋭い眼差しで彼の監視を再開した。
今日までの間、ジンがどれだけ大人しく待っていても、電話が鳴ることはなかった。眠らないようにたまに頬をつねったり、頭をぶつけたりする様子はいたたまれなく、何も起こらなかった日はジンもひどく悲しそうな顔でマンションに戻るのである。公衆電話に入ってる間はこちらに背中を向けているので顔までは見えないが、たまに泣いてるように小さな肩が震える時もあった。
この日もそうだ。電話は鳴らない。ジンは公衆電話の中で足を抱え込むようにして座り、じっと受話器を見つめている。
「赤井さん…あの子は、たぶん…」
「しっ」赤井は目を逸らないまま、口元に指を立てた。「誰か来るぞ」
足音は聞こえない。だが赤井の言う通り、ジンが座り込む電話ボックスに、サラリーマン風の男が歩み寄ってきた。
赤井とキャメルに緊張が走る。
男はすぐにジンに気付き、公衆電話をノックした。ジンは怯えるように体を強ばらせて、外から開けられないようにドアを押さえた。男は困ったように辺りを見回した後、持っていた鞄からケータイを取りだし、どうやらそこにメッセージを打ち込んで、ジンに見えるように向けた。
「組織の奴かもしれない」
赤井がつぶやく。
男は軽く手を振ると、すぐその場から立ち去った。そのまま電話は鳴らなかったが、男が立ち去った後、ジンが少しだけ電話ボックスから手を出して、何かを手にした。
「今日の奴の動向を細かく見張っておけよ」
赤井はキャメルに言い付け、その場から去っていった。
明くる朝、ろくに寝ていないはずのジンはいつも通り起きてきた。キャメルが先に起きてコーヒーを飲んでいたので、少しびっくりしたような顔はしたが、いつも通り全員の朝食を作り、キャメルにも出してくれた。
「それ、どうしたんだい?」
ズボンの後ろポケットに、ジンが鳥の羽根を差していた。珍しい柄の羽根である。ジンはそれをつまみ出すと、とっておきの宝物を自慢するように、キャメルの顔の前でひらひら揺らした。
これを拾っていたのか。
ジンはとても無口で、自分から率先して口を開くことはまずなかった。口を開けたとしてもとても小さな声で、盗聴されていてもなかなか拾えないだろう。
キャメルはジョディもジャックも起きていないことを確認し、自分も声を小さくして、彼に耳打ちした。
「実は、知っているんだ…君が夜、表通りの公衆電話で何かを待っているの」
ジンは目を丸くして驚いた後、まるで叩かれるのを覚悟するように、ぎゅっと体を強ばらせて目を閉じた。
「ごめんなさいっ…」
「あ、いや、違うよ、別に怒ったりはしないよ。ただあんな夜中に子供だけだと危ないから、ちょっと隠れて見守っていただけなんだ。君にもああしなきゃいけない事情があるんだろうし、言いたくないこともあるだろう」
キャメルの言葉がよほど想定外だったらしく、ジンはうろたえ、体をじっと強ばらせたまま、目だけきょろきょろ震わせている。
「ご、ごめん…やっぱり覗き見なんてよくなかったな。今夜からはしないよ」
ジンはちらりとキャメルを見て、口元に手をかざしたので、キャメルが耳を寄せる。
「お父さんからの電話があるかもしれないんだ…」
「えっ、お父さんから!?」
ジンが頷く。「お父さんは仕事で忙しいから、家に帰ってこられないけど、毎日電話はしてくれたの。家の電話は悪い人に聞かれているかもしれないから、一番近い公衆電話に」
「それで待っていたんだね」
少年はすっかり元気をなくしてしまい、ずいぶん暗い表情でベーコンエッグにフォークを刺した。
「…お父さんとの電話は、お母さんには内緒だったんだね?」
「別に内緒だとは言われなかったけど…お父さんとお母さんは、何か、嫌い合っているみたいだったし…どっちかの言う通りにしてたらどっちかに怒られるし…静かにして、家の用事をひたすら片付けていれば、怒らないから」
両親の前でひたすら息を潜めて、怒られないように俯く少年の姿を想像すると、胸が張り裂けそうになるのと同時に、どうしようもない怒りが沸いてくる。
ジャックとジョディが起きてきた後、朝食もまだ済んでいないジャックを無理やり近所のコインランドリーに連れ出した。溜まった洗濯物を乱暴に放り込みながら、昨夜のジンの行動と、今朝話した内容を全て聞かせた。
「何でもっと夫婦らしくいられなかったんですか!!せめて子供の前でだけでも!!」
ジャックはベンチシートに座ったまま、拗ねた子供の顔をしている。
「知らなかったんだよ」
「あん?」
「ジンがそんなに我慢してたなんて、知らなかった。今の今まで」
「普通に考えたらわかるだろ!!大体、まだ五歳の子供に対して、夜中の公衆電話に一人で来るように指示するなんて、常識はずれもいいところじゃないか!!
昨夜だって、残業帰りか何だかわからんが、サラリーマンみたいな男が近づいてきて…何もなかったからよかったが…」
「待て」ジャックの目が鋭く光る。「その男、背丈はどれくらいだった?ジンに接触はしなかったのか?」
「あ、えーと…」
キャメルは昨夜の様子を思い返す。
「背は一七〇ないくらい…日本の成人男性の平均より少し高いくらいかな。痩せ形の、三十代前半ほど…紺のスーツパンツに、半袖のカッターシャツ。顔はよく見えなかったからわからないが…」
「ジンに接触は?」
「あんな時間に子供一人で公衆電話にいるから、不審に思ったのか、電話ボックスをノックしていた。だがジンが開かないようドアを中から押さえたから、ケータイで何かメッセージ伝えて、その後すぐそこから立ち去ったよ」
ジャックはしばらく情景を思い浮かべる
ように考え込み、おもむろに洗濯機の中止ボタンを押した。
「帰るぞ」
まだびしょ濡れの洗濯物をキャメルが抱えて、マンションに戻る。ドアを開けると、ジンがうつ伏せで倒れているのが見えて慌てて駆け寄ったが、寝ているだけだった。シャワールームからジョディが出てきて、笑った。
「あら、寝ちゃったのね。さっきまでそこで遊んでいたのよ、ミニカー転がして」
キャメルとジャックは安堵の溜め息を漏らし、脱力した。よだれが垂れるほど眠り込んでいるようだったので、ベッドに連れていく為にキャメルが抱き上げると、ジンのポケットからひらり、例の羽根が舞い降りた。
ジャックがつまみ上げる。
「これが、昨日の男が残していった物?」
「あぁ、たぶんな。そいつがいなくなってから、ジンが拾っていたから」
美しく毛並みの揃った羽根で、その大きさからして大型の鳥のものであることは明らかだった。先端から、黒、茶色、白が並び、若干硬め。
「何の羽根だろ…」
ジャックは目の前で揺らしたり、匂いを嗅いだりしたが、メッセージ性は感じなかった。ただの鳥の羽根である。それも剥製のものなどでなく、どこかで拾ってきたような、少々不衛生な部分も見受けられた。
「もしあれなら、コナン君に連絡してみる?」
ジョディがケータイを取り出しながらウィンクしたので、ジャックは不信感丸出しで顔を歪める。
「何でだよ、必要ないじゃないか」
「あら、あの子あー見えてけっこう面白いところに気がつくのよ。暗号とか大好きだしね」
鳥の羽根をくるくる回す。錯覚なのか獣らしいにおいがした気がした。
夜中にひとりで公衆電話の前にいるジンを思い浮かべる。気にしたこともなかったが、きっと身を切るような寒さの日もあっただろう…そういえば、家から滅多に出さなかったから、分厚いコートやジャケットなんて与えていただろうか。薄着のまま小さな体を丸めて、震えながら言いつけ通り電話を待っていたのだろうか。そんなことも知らず、どんなに忙しくても一日に一度は連絡を入れていると、父親の役割を十分果たしている気でいた自分は、いったい何を見ていたのだろう。
サクラが羨ましかった。目に見える形で遺品を与え、未だにジンがそれを身に付けているのだから。
「あ」ジャックは羽根をくるくる回していた手を止めた。「この羽根、もしかして」

漆黒に染まった銀弾:24

ジョディとキャメルが二人を保護するという名目で始まった生活の六日目。コナンはその部屋に遊びに来ていた。泊まり込みの許可は出なかった為、できる限りここに足を運ぶという形に切り替えたのである。ジンは記憶を取り戻す様子がまるでなく、規則正しく起きて掃除や洗濯をし、靴を磨き、ニュースを見て、全く汚れていない部屋をまた掃除し始めるのだという。お陰で部屋は入居した時よりきれいになった気がした。どうしてもやることがなくて暇な時は、ミニカーを転がして遊ぶのだそうだ。
「一緒に暮らしてた時は、俺もサクラも家にいないことが多かったから…」
彼の六歳児らしからぬ生活習慣をジョディに問われ、ジャックは申し訳なさそうな笑顔で答えた。こうしなさい、こうしておきなさい、家にいるのだからこれくらいしなさい、と毎度毎度きつく叱っていたら、気を利かせて自分でいろいろしてくれるようになったのだとか。
「あなた、それでよく今さら父親面できるわね!!あなたと暮らしてた時って、彼はまだ五歳でしょ!?はっきり言って虐待よ!!」
「め、面目ない…反省してるよ」
ジャックはジョディの怒りに気圧されて、彼女のことが若干苦手になっているようだった。
キャメルは相変わらず気に入られていた。彼は甘いものが好きで、このマンションに入居したばかりの時も、夕飯のついでにアイスクリームを買ってきたらしい。ジャックとジョディは食べなかったが、ジンが物珍しそうに見つめているのに気がつき、利き腕が使えない彼に食べさせてやったのだ。ジンは生まれて初めてこんなおいしいものを食べた、と言わんばかりに目を輝かせ、夢中で食べていたという。
「糖分とりすぎたらバカになると思って、おやつの類いは一切禁止してたし、サクラがあげたやつを食べたら叱りつけてたから…」
ジャックが悪びれず漏らすと、ジョディが再び睨み付ける。
「い、いや…サクラも組織の人間だし…なに企んでいるかわからないから…」
「叱ることないじゃない。だからこの子、すぐ狭いところに隠れるんだわ。大人はすぐ怒ると思っているのよ」
コナンがインターホンを鳴らしてこの部屋に入ってきた時、ジンの姿が見えなかった。彼はベッドとサイドテーブルの間や、洗面所の下、クローゼットの中など、インターホンが鳴る度に狭いところに隠れて息を潜めるのだそうだ。この日は溜まりに溜まった洗濯物の中に潜り込んでいた。
「俺と暮らしていた時は、そんな変な癖なかったんだけどなぁ…」
言い訳がましくつぶやくジャックを、飽きもせずジョディが睨み付けた。
「お母さんの言いつけみたいですよ」
リビングでうたた寝していたジンをベッドに移したキャメルが、戻ってきた。リビングテーブルのパソコンの電源を入れて、寝室のカメラ映像を引っ張り出す。ジンは寝る時でもミニカーを握りしめていた。
「お客さんがきたら隠れなさいって、ずいぶん厳しく言われていたみたいです。彼女は組織に戻っていたから、彼をトラブルに巻き込まないようにそう教えていたのかもしれませんね」
ジャックが不服そうに顔をしかめる。キャメルの方がよっぽど父親らしいわよ、とジョディに言われたこともあり、ますます目の敵にしているようだった。
「と、ところで、コナン君、今日沖矢さんは?」
キャメルが慌ててジャックから顔を逸らす。コナンはポケットから盗聴器を取り出して見せた。
「僕も沖矢さんもこっちに来ちゃったら灰原の方を見られなくなるから、僕だけ来たよ。ここでの話は沖矢さんにも聞こえるように、博士に作ってもらったんだ」
「犯罪グッズを作る天才だね、あの阿笠博士ってのは」
ジャックが意地悪な顔でそう言った。コナンは苦笑するしかなかった。
ジンが眠り込んでいることを確認して、ジャックは多少声を低めた。
「事前に一度話した通り、俺はあんたらの望む組織のことは、ほとんど話すことができない。何も知らされていないからだ。ブラックや俺は全く信用されていなくてね…ジンみたいに、あの方から直接指令を受けることもない」
ただ、と付け加え、一枚のコインを取り出す。五百円より一回り小さく、錆びた銅のような色をしている。
「ゴブリンのことならある程度知っている」
「ゴブリン?」
眉をひそめたコナンに、キャメルが答えた。
「ヨーロッパを拠点にしている裏組織だよ。イギリスの国家権力が絡んでいるのは明らかだけど、なかなか尻尾が掴めないらしい…ゴブリンっていう名前は、スポンサーのイニシャルからきているという噂だが…」
ジャックが神妙に頷く。
「ゴブリンの特徴は潤沢な活動資金だ。いくつかの国の血税が寄付されているのだから、当然といえば当然だがな…だが、金はあればあるだけ困らない。アポトキシンのデータを奪って不老不死の薬を作ろうとしたのも、その薬を各国のお偉いさんに法外の値段で売るため…まぁ、一番のスポンサーとも言える女王様がご所望、てのが最重要項目かもしれないが」
言いながら彼はコインをテーブルの真ん中に置く。複雑な花模様が縁どるように彫られて、真ん中に数字の羅列があった。不規則に並べられたものとは思えず、コナンはじっと目を凝らす。
「ゴブリンで古くから使われている暗号数字だよ。日本語らしく訳すなら、我の血潮は全て此の為に、てところかな」
「じゃあもしかして、この錆って」
「そのコインは、ゴブリンの活動拠点に入る時に必要なもので、それを持つことを許された者は自らの血で錆びさせる必要があるんだ。切りつけた傷につけて包帯で巻き付ける奴もいるし、度々採血してかける奴もいるし…」
ジャックはどうでもよさそうに説明し、次に黒いピルケースを出した。クラウディオに扮していたジョナサンが持っていたものと同じだ。
「飽くまで俺が知っている限りの話だが…ゴブリンではフェニックスと呼ばれていたのが、あちらさんの言うアポトキシン4869に通じる薬だ。ベースとなる化学式は同じだろうが、先に言ったようにゴブリンには潤沢な資金がある。もしかしたら研究はこちらの方が進んでいたかもしれない」
ピルケースが開けられる。黒いカプセルが二つ。中に液体が入っているのだとジャックは言った。
「注射器を刺して中の液体を吸い取り、静脈に注入すればOK。だが何らかの効果を期待できるのは、成人男性だとカプセル八つ分…さらには光にすこぶる弱くて、こういった遮光ケースに入れてないといけない。少しでも液体そのものに光が当たると、成分の比率が変わるそうだ。ちなみに俺は、遮光されたボトルに入った液をそのまま飲んだから、ジンみたいにその場で子供になることはなく、ブラックに運ばれている最中に子供になったと思われる」
黒いカプセルをつまみあげる。灰原に持って帰ったら、中の有効性分がアポトキシンと同じなのか違うものなのか調べてくれるだろうが、持って帰らせてはくれなさそうだ。
「そんな薬がこの世に存在するなんて…」
ジョディは頭を抱え、顔を青くしている。キャメルも神妙な顔をしながらも、パソコンの画面ですやすや小さな寝息を立てているジンを気にしているのがわかった。
「そんな薬を開発することができるなら、癌の特効薬やAIDSの根治も夢じゃなさそうに聞こえるのは、私が卑屈な女だからかしらね?」
嫌味ったらしく続けたジョディに、ジャックは首を振って見せた。
「さすがに思い通りの薬なんて、早々にできるものじゃなくてね…
俺がブラックと組んだのは、もう十年以上前…ジンの二十歳の誕生日を迎える前だったんだ」
「十年以上!?」ジョディの脳裏にはベルモットの美しい微笑みが過った。「てことはあなた、子供化した薬を飲んでから今まで成長しなかったってこと!?」
「そういうこと…だが姿形は子供のままでも、退化を強要された臓器や骨には大きなダメージが残っていて、その症状の進行具合は日に日に増すばかり…
コナン君の推理で唯一外れていたのは、一時期小学校に通っていた俺の体調不良は演技だろうってところ…あれは本当に体内に限界が来ていて、しょっちゅう心臓発作を起こしそうになっていたんだ。ここ二、三年は、横流しされた強い痛み止打ちまくって、なんとかごまかしているってところかな」
「じゃあ、もしかしたら彼も…」
キャメルが心配そうにジンの映る画面を見た。
「いや、ジンは病院で記憶障害のこと以外は特に言われていなかったし、脳に大きなダメージがあった分、他には影響がなかったのかもしれない。
副作用もそれぞれで、死ぬ奴もいれば植物人間になる奴もいるし、臓器が溶けて死んだような奴もいたらしいから、結局、どれが有効性分として発揮されるかわからないってことだろう。
フェニックスを飲まされた実験台は数えきれない人数いるが、死なずにいるのは、俺が知っている限りじゃ俺とジンと、もうひとり初めての成功例になった奴がいるくらいだな。そいつは名前も顔も知らんから、今も生きているのかわからないが…」
そこまで喋ったところで、ジャックとキャメルが同時に、あ、と声を上げた。パソコンの画面に映っていたジンが、ごそごそと動き始めていた。
目を覚ましたジンはしばらくぼんやり部屋の中を見ていたが、やがてゆっくりベッドから降りて、コナン達がいるリビングの方を覗きに来た。
「おはよ、ジン!!」
さっきまで無愛想な顔で喋っていたとは思えないくらいの笑顔で、ジャックが迎え入れる。ジンもよくわからない状況に置かれている中で、同年代の彼には多少心を許しているのか、遠慮がちに微笑む。
「おい、ジャック、さっきの話…」
「君、まだいたの?」ジャックはにっこり笑って、コナンの肩に手を置いた。「今日はもう日が暮れそうだし、帰ったら?ほら、あのスタイルのいい空手のお姉さんも心配してるよ」
そのまま玄関の方へ無理やりコナンの体を推し進め、ジンが付いてきてないことを確認すると、声を低めた。
「ジンの前で組織に関連することは話させないよ。その拍子に大人の時の記憶が戻ったら可哀想じゃないか」
「て、お前まさか…このままジンがただの子供になって、人生やり直せたらとか思ってんじゃねえだろうな!?」
「さっすが名探偵!!」
ジャックは靴と一緒にコナンを追い出し、さっさと玄関に鍵をかけてしまった。
くそっ、あいつ…俺をこんな体にした張本人を、記憶喪失なんかで逃がさねぇぞ!!
心で毒づくも、今のところ手も足も出ないのが現状である。ブラックもジョナサンもゴブリンも動きを見せないし、ジンもただの子供として生活をしているばかりだ。いくつか引っ掛かる点が残っているので、それについて頭を働かせるくらいしかできなかった。

漆黒に染まった銀弾:23

ジンの意識が戻ったことを聞き、医者はいくつか彼に質問をし、鎮痛剤と化膿止めの薬を点滴で打った。コナン達が彼に構わず勝手に話をしていても、ジンはひとりでミニカーをまじまじと見つめ大人しくしており、その内薬の副作用でぐっすり眠った。
ジャックはそこにいたキャメルを追い払い、ベッド脇の椅子に座った。
「二十五年前…サクラが殺される前、ジンは一人で俺のとこまで来る予定だったんだ」
少年の胸の上で不安定に停まっていたミニカーをつまみあげ、サイドテーブルに移しながら、彼は切り出した。
「サクラから電報が届いた。ジンから連絡があった時の為に、一緒に暮らしていた部屋は解約してなかったから、すんなりそれを受けとることはできたよ。
まずこれが罠なんかではないから真面目に読んでほしいという懇願と、何者かがジンを狙っている旨があった。その後で、夏休みの時期になったら子供ひとり空港をうろついても目立たないから、ジンにひとりでロンドンに向かわせる…だから空港まで迎えに来てあげてほしい…そういったことが記されてた」
「つまり、ジンの記憶はその出発直前のところまで戻ってるってことか」
父親はロンドンで待っているはずだ、となんとも不安そうに答えた少年を思い出す。
「結局、ジンは飛行機にも乗らなかったみたいだがな…サクラが死んだのは搭乗予定だった日の前夜…その時住んでた借家は全焼してしまって、他の住人も何人か焼死体で見つかったから、俺はその中にジンも含まれているのだと思った」
「自分の目で確かめようと思わなかったのかね?」
責めるでもなく、単調な口調でジェイムズが尋ねた。ジャックは首を振る。
「俺も組織からの監視がきつかった時だったから、それは難しかった。それに、ジンは戸籍がないからな…存在しない子供を探してくれ、なんて、誰も真に受けちゃくれないだろう」
ジャックがジンの額を拭い、何かを見つけたように目を見張った。ジンの首もとで揺れるネックレスだ。
「…こんなの持ってたかな?」
コナン達は顔を見合わせる。
「それは黒澤サクラがジンに遺したやつだって、ジョナサンがクラウディオとして毛利小五郎のところに来た時に言っていたぞ。まぁ、偽物のホームビデオで出てただけで、どこまで本当だったのかはわからないが。
そのビデオでは、クラウディオがサクラにプレゼントしたことになっていた」
「へぇ…じゃあ、このネックレスに何かデータでも隠されているのかな」
ジャックは興味深そうにネックレスをじっと見つめたが、それられしいメッセージも暗号も見つからなかったのか、顔を歪める。沖矢もコナンもベッドに駆け寄り、少年の首もとを見た。
銀色の、それほど高価なものにも見えない、羽根をモチーフにしたトップのネックレス。特徴的なのは、羽根の軸の部分が長目で、羽毛部分が少ない。
「わざわざネックレスを思い出の品として印象づけたってことは、奴らがジンを探し始めた理由にもつながるのかもしれない」
コナンはそっとジンの首の下に手を忍ばせ、ネックレスを外しながら頷いた。
「ジャックがこれのことを知らないなら、このネックレスに、盗まれたデータか重要な手がかりが隠されている可能性が高いからな」
留め具の部分に目を凝らすと、シリアルナンバーのようなものが書いてある。裏側にはいくつか窪みがあるだけで、特にヒントらしいものはない。
「黒澤サクラがどういう状況でこれをジンに渡したかにもよるな…もしかしたらその時何か言ったかもしれない、データを隠した場所を示すことを」
コナンがシリアルナンバーをメモに書き写しているところで、ジンの目がうっすら開いた。
「あ、ジンが…」
キャメルがすぐに気付いたが、遅かった。ジンはコナンが自分のネックレスを持っていることに気付き、奪い返そうと身を起こしたのだが、バランスを崩してしまった。ジャックが慌てて手を伸ばすが、子供の小さな手ではどうにもならず、ジンはベッドから落ちてしまう。
「ジン!!」
点滴も外れて、ナースコールが勝手に鳴った。
「大丈夫かい?痛かっただろう」
キャメルがすぐに飛びつき、痛みでうずくまるジンの背中を、大きな手で撫でてあげる。肩の傷口が開いてしまったのか、じわりと血が滲み始める。
すぐに看護師が二人飛んできて、処置を始めた。その場にいた全員がひどく怒られ、半ば追い出されるような形で、その日は解散となった。
そして退院の日。コナンはまだ蘭に泊まり込みの許可を得てなかったので、実家で沖矢といた。
「さっきジェイムズさんから連絡があった。新しく借りたマンションで保護することになったが、キャメルにすっかりなついて、ジェイムズやジョディとは目も合わせないらしい」
「昨日のことがあったからかな…あの時ジンのこと心配して寄ったの、キャメル捜査官だけだったし」
「ネックレスを返すよう促したのもキャメルだったからな…彼は人情が捨てきれず甘いところも多々あるが、人の懐に飛び込むのはうまいかもしれない」
確かに赤井さんは子供には好かれないかもしれないな、と思った。口には出さないが、あの歩美や光彦や元太でさえ、彼に対しては一線引いてる節がある。
一方、ジェイムズとジョディと合流し、ジャックとジンを連れてマンションに向かうキャメルは困っていた。ジンの足にはまだ切りつけられた時の傷があり、歩くのが辛そうだったので抱き上げたのだが、ジンは余程キャメルを信頼しているらしくしがみついて離れず、車の中でも膝の上に載せていた。隣でそれを睨み付けるジャックは今にもピストルでも取り出して、キャメルの頭を撃ち抜きそうな気迫があった。
「知らなかったわ、キャメルがそんなに子供にモテる人だったなんて」
助手席からジョディがからかう。ジンは自分を支えるキャメルの腕に、ミニカーを走らせている。
「自分もどうしてこんなに好かれているのか…でも、あれですね。この子は大人しいし、きちんと言うことも聞いてくれるから、こういう感じだと子供もかわいいものですね」
「親の躾がいいのでね」
ジャックが低い声で言った。こちらの子供は全くかわいくないと思った。
「それよりジャック…君は我々と一緒にいて大丈夫なのか?ブラックはどうしているんだ」
ジェイムズがバックミラー越しに探りの目を向け、ジャックもそれを受け止めた。
「ブラックは解毒剤を探しているだろうな…今のところ連絡ないから、まだ進展はないみたいだが…とりあえず俺がジンの傍にいることは伝えてあるし、こっちに潜り込んでいることにしているから、あいつがあんたらに手出ししてくることはないはずだ」
「信用していいのかしら?」
ジョディが微笑む。ジャックも真似して唇の両端を引いた。
「ジンの無事を保証してくれている間はね…」
姿形は子供だが、闇社会に染まっていることはその瞳が示していた。キャメルは背筋の震える思いがした。ひとり息子であるジンの為だと言って、この男は一体何人殺してきたのだろう…。
マンションはすぐに見えてきた。五階の部屋で、四人で暮らすにはちょうどいいくらいの広さである。ベランダの窓を防弾ガラスに取り換え、カーテンを遮光カーテンにし、玄関の覗き穴を塞ぎ、チェーンロックを頑丈にした。風呂とトイレとジョディの部屋以外にカメラを取り付け、疑似家族の生活はスタートを切った。