読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

漆黒に染まった銀弾:6

間接照明でゆらりと照らされた松の絵の屏風が、妙に不気味だった。職業柄暗いところは慣れているし、シャンデリアでぎらぎら輝くレストランよりずっとましではあるが、バーや路肩で軽食を済ませることが多い生活の者にとっては、少し居心地が悪かった。
ウォッカの隣にはジンがいる。そして目の前には、部屋に入ったときに初めましてなんてほざいたブラックがいる。
ジンはメインの牛肉にたどり着く前に、箸を置いてしまっていた。
「もういらん」
好き嫌いする子供のようにそう言うと、猪口に入った酒をくいっと呑んだ。ブラックは多少顔をしかめて、ジンの目の前にある牛肉を取り、代わりに少しだけ盛り付けられた自分の天ぷらを置いた。ジンはしばらく黙って酒の余韻を味わっていたが、次には置いた箸を手に取り、天ぷらをつまんだ。
「普段ろくに食べちゃいないんだろう。食べることを面倒くさがるな。酒なんて教えるんじゃなかったな」
「ポン酒よりウィスキーが飲みたい」
ここは見るからに高そうな日本料亭である。料理も日本酒に寄せて作られている。とんでもないわがままを言い出すジンに、ウォッカは違和感を覚えていた。いつも黙って目の前の出来事を処理する兄貴が、まるで高飛車に甘える猫みたいだと思った。
ブラックは特に不愉快そうでもなく、むしろジンのわがままを幸福そうに受け止め、屏風の向こうに声をかける。
「ジャック、王子さまがウィスキーをご所望だそうだ」
物音も気配もないまま、数分後には屏風の裏からウィスキーが差し出された。ウォッカは身震いする。そこに誰かがいると思わせるものが微塵もなかった。殺しの天才と称されるブラックに対して、ジャックは暗殺の天才と言われており、身を隠すことにとにかく長けている。ジンとブラック以外にジャックの素顔を知る者はないと言わしめるほどだった。
これだけの二人がなぜ出世して、あの方の傍につかないのか。彼らがあの方への忠誠に欠けていることが、勿体なく思えて仕方がない。
天ぷらもひとつふたつ食べて、ジンはまた箸を置いた。この部屋に来てから黙々と食べるばかりで、ろくに親代わりだというブラックと会話していない。当然、ウォッカもほとんど口を利いていなかった。
「ウォッカ」なので突然ジンに声をかけられ驚いた。「食いたきゃ食えよ。どうせこいつらが払うんだ。俺の残飯ばかりじゃ勿体ないぜ」
食事を共にする時、ジンはいつも頼んだものを全て食べきれず、ウォッカはその残り物を食べた。ジンがそうしろと言ったわけではないのだが、どうも貧乏性が抜けなくて、ウォッカ自身がそうしたくてしていたのだ。お陰で体は丸々と成長するばかりで、食い過ぎだ、といつもジンにからかわれていた。
「兄貴はもう食わねぇんですかい?」
結局半分どころか、ほとんど手付かずと変わらない状態の膳が気になった。しかしそれを聞くとジンは急にむすっと表情をしかめ、口を閉じてしまった。怒っているというよりは、何か煩わしい様子だ。
「で、俺たち呼び出して何の用だ」
ブラックは困ったように肩を竦めた。
「聞いたかい、ウォッカ。まるで用がないと呼んじゃいけないみたいじゃないか。冷たいねぇ…俺がオーストリアにいる間、どれだけジンを心配してたか。親の心子知らずってね」
歌うようにそう言うと、彼は猪口を傾け日本酒を呑んだ。まるでそれを合図としたかのように、廊下の奥の方から女性の甲高い悲鳴が響いた。
「何だ!?」
慌てふためいたのはウォッカひとりだ。二人は微動だにせず酒を飲んでいる。ブラックは微笑さえそのままだった。
「仕事か?」
ジンが聞いたので、ウォッカもやっと理解した。ジャックがこの席に並ばなかったのは、彼は他の部屋にいるターゲットを殺す任務があった為だろう。たった今、ここの女将か仲居が、その殺された人物を発見したに違いない。
ブラックはジンの問いに答えないまま、障子が閉められて見えない庭の方へ目を向けた。
「なぁ、ジン、お前はもっと冷静になるべきだし、もっと周囲の人間を疑うべきだ。殺し屋にしては素直すぎる」
ジンは何が何やらわからないらしく、きょとんと子供のような顔をしている。だがウォッカには、ブラックの言うことが少しわかった。仕事となれば冷徹非道なジンだが、ところどころ人間味があって、子供のように素直なところは確かに見受けられる。ブラックの言葉を聞いてきょとんとしているこの顔がその証拠だと言ってもいいだろう。
「例えば、そうだな…」
そこまで言いかけて、ブラックはジンを見た。ジンがあまりにも子供っぽい顔をして次の言葉を待っていたからか、もしくはこんな時にウォッカが牛肉にナイフを入れたからかわからないが、彼は苦笑し、首を振った。
「いや、いい…もう俺とジャックがこの国に帰ったんだから、心配ないな」
「言わねぇのか」ジンは不機嫌になった。それもまた、素直に顔に出るのだ。「気色悪ぃ」
「俺はお前と違って誰でも殺せる。だから心配いらない」
結局どれだけジンが問い詰めても、ブラックは笑って誤魔化すばかりで言わなかった。すっかりへそを曲げたジンは料亭を出るまで一言も喋らなくなってしまい、最後の三十分ばかりは地獄のようだった。
今日はジンの愛車でなく、仕事終わりだったので組織のベンツだった。ウォッカが運転席に座り、シートベルトを引っ張ったところで、助手席のジンがじっと見据えているのに気がついた。
「どうしやした、兄貴?」
「お前…どこでブラックと会った?」
「えっっ…」
声が裏返ったので、もう言い訳のしようもなかった。ジンは間抜けなウォッカの声を笑い、別にいいが殺されるなよ、とずいぶん低い声でつぶやいた。