漆黒に染まった銀弾:15

サクラの顔立ちは東洋系のそれだったが、髪はブロンドに近かった。彼女が俯くと絹のようなその髪がさらりと垂れて、ベールを被ったようにその目が霞がかって見えた。彼女はよく胸を抑えてしゃがみこみ、乱れた呼吸を整えることがあり、ジンはその度に顔を覗きこみ、無力な手で背中を撫でた。
「やめて」サクラはそれを嫌がった。「そんな同情じみたことやめなさい。立ち上がれない奴は踏んでいけるようになりなさい。じゃないと生きていけないわよ」
父親は光が当たると水面のようにきらきら眩しい銀髪だった。後ろ髪は短く刈っていたが、顔を隠すように前髪は長い。いつも仕事でいなかったが、連絡用に決めていた公衆電話があり、ジンは毎日夕方になると鳴るのを待った。
「今日は夜中に冷え込むらしいから、シャワーを浴びたらすぐにベッドに入って寝なさい。クローゼットの奥にルームソックスがある。出して履きなさい」
一方的に告げて切られるばかりで、ジンには話す隙さえ与えなかった。
ブラックは昔から艶のある真っ黒な髪の毛で、ぴっちり美しいオールバックで決めていた。服も靴下も靴も全て黒。覗く肌だけが青白く浮かんでいるようだった。
「今日はライフルのメンテナンスを教えてやろう。いいか、ジン、生きていくっていうのは片付けていくっていうことだ。余分なものは片付けて、自分の足に引っ掛からないようにするんだ」
ブラックはよく笑い、よく頭を撫でて、よく抱き締めてくれた。わからないことは聞けば答えてくれて、言われたことができたら誉めてくれた。子離れできないところが鬱陶しくて敵わないところもあったが、ジンはこの世において自分の存在を肯定してくれるのは彼だけだと信じていた。抱き締められた時にどれだけ血なまぐさくても、そんなことは問題ではなかった。
「ジン」
冷たい大きな手が頬に触れる。子供の頃は火照った体に気持ちがよかったが、大人になると身震いするようになった。
だが走馬灯の中の今は、気持ちがいい…
「ジン、ジン」
「兄貴…」
ウォッカの情けない声でハッと目覚め、ピストルで撃ち抜かれた箇所の痛みが急に鮮明になった。頭の奥で鼓動の音がする。空気を吸い込むと胸が上がり、吐き出すと下がる。
生きていた。
だが頭は鈍く痛み、重たい。それに不気味な違和感があった。ブラックとウォッカがやけに大きく見えるのだが、自分の体はやけに小さく見える。まだ夢の中だと思った。
「おはよう、ジン。痛かっただろう可哀想に。もうあの銃を持った異常犯罪者は殺しておいたから」
瞼が重く、体がだるかった。ブラックは飽きもせず頬や頭を撫でて、愛おしそうに額にキスをする。口の中がカラカラに乾いて、舌がうまく回らない。
何があったんだ…。
「ブラック、ジンの体を起こしてやれ」
ジャックの声がした。姿は見えないが、どこかに潜んでいるのだろう。狭く人の目につかないところが好きな彼は、いつも隠れている。
「まだしんどそうじゃないか」
「だが早急に現状を知らせておく必要がある…イレギュラーな事態だ。それともジンが頭の整理をつけられないまま、王室の犬どもに連れ去られてもいいのか」
「温室育ちの大型犬なら、いくら牙剥かれたって殺せるがね」
「ブラック」ジャックの声が珍しく苛立っている。「敵は何も西の奴らばかりじゃないんだ。俺はお前の大切な坊っちゃんの為に言ってるんだぞ」
「はいはい、怒るなよ。笑えなくてもただのジョークだよ」
ブラックの口元は愉快そうに笑っているが、目は鋭く入り口の方の壁をにらんでいる。あぁ、そっちにジャックはいるんだな、と思った。ブラックの手が体の下に差し込まれる。腕一本で軽々と持ち上げられたことに驚いた。
ベッドの足元に大きな鏡が用意されており、ブラックに抱き起こされた銀髪の少年が映っていた。もうずいぶん昔から見ていないその姿に、さすがのジンも痛みを忘れてギョッとした。
「ジン…お前を撃ったあの男が、妙な薬をお前に打ち込んだんだ。首にその跡がある。おそらく体が小さくなってしまったのは、その薬の影響だ」
ジャックが早口で説明するが、困惑するジンの耳にはろくに入ってこない。そういえば、手を洗いに行ったのだ。水が出なくて引き返そうとして、それから…
ジンは咄嗟に手首を触った。
「痛むかい?」
ブラックが優しく微笑む。ジンは元々青白い顔をさらに青くして、首を振る。
「いや、べたつくんだ…」
あの時、銀髪の男が来た。ジンはあの男を知っている。老けてしまってはいたが、小さな頃に会ったことがある。
「王室の犬どもなら解毒剤を持ってるかもしれん…人間の体を縮めるなんて馬鹿げた薬の効力が、どれだけあるものかもわからんがな」
「解毒剤、いる?」ブラックがおどけて、全員を驚かせた。「俺は犬どもに用があるが…いいじゃないか。ジンは自分の人生をやり直せるし、立派に成長したジンも可愛いが、やはり未完成の状態っていうのもなかなか芸術的で美しいじゃないか」
「勘弁してくれ」
やっとの思いで出した声も、迫力のない、なんとも可愛らしい声だった。
ブラックは愉快そうに笑い、ジンに小径銃を一丁、ウォッカに弾丸をいくつか渡した。
GPSは一応つけておくが、最低限自分の身は自分で守るんだぞ。特にウォッカ。お前ジンに何かあったら殺すぞ。あの方に報告するかどうかは自分達で決めな。その間、お前たちにきた仕事は全部片付けておいてやるから」
彼はジンの額にもう一度キスをして、洒落たウインクを残した。
「愛してるぜ、ジン。困ったらいつでも呼べよ」
あぁ…小さな頃は、殺しに行く前にいつもこんなことをされていたな。
ブラックが部屋を出た。気配は全くわからないが、きっとジャックも続いて出ていったのだろう。
ウォッカもジンも、しばらく黙っていた。
ジャックは足音も呼吸音も立てず、ブラックの後ろを歩く。
「お前、犬に用事があるって?」
ブラックは、よくぞ聞いてくれました、とばかりに笑みを広げて、肩を竦めた。
「俺もほしいんだよ、ジンに打たれた注射。育てるっていうのもいいが、今度は同じ青春を過ごすってのも悪くないと思ってね」
それで解毒剤はいらないと言ったのか…ジャックは呆れた。出会う前からジンを連れて、子連れの殺人兵器などと揶揄されていた男なので、なぜそこまでジンを溺愛するのかわからないが、ここまでくると依存されているジンの方が憐れであった。
だがブラックの思惑通りにするとしても、ジンを元に戻してやるにしても、どっちみち躾のなってない血統書付きの犬どもに首輪をかけなければならない。ジャックの考えではそう長い仕事にはならなさそうだった。せいぜいその間、ちょっと変わった休暇だと思ってジンが羽を伸ばせばいい。わけのわからないまま殺人兵器が母親から剥ぎ取り、学校にも行かせず、真っ黒で孤独な箱の中で育てられたのだから、彼にとって子供の視線で見る外は全て新鮮だろう。
そこまで考えて、思わず笑った。あのジンがランドセルなんて背負うことになったら、そんな面白いことはないと思ったのだ。